Earth Design Project

ひとりひとりから始まる あらたな ヒト/HITO の ものかたり
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裸の王様


さまざまな危機を
さまざまな対立を
さまざまな謀略を
演出し
ひとびとの恐怖を利用してきたものたちの
その手のうちは
もう
多くの人の知るところとなっているのに
いったい いつまで
自作自演の猿芝居を
くりかえし 続けるのでしょうか


いまこそ
怒りではなく
冷静な眼差しで
煽られることなく
希望のために
思考し
歩んでいくことが
とても大切なのだと思います


自分の中にもある 同じ構図から目をそらさずに


裸の王様は 裸なのだと 言いながら




ひとの目覚めへ


太陽光線がいつになく印象的だった 昨日、
首都圏反原発連合のメンバーと脱原発をめざす国会議員との対話を ウェブの中継で観ながら、私は あることを思っていました。

代表を置かないカタチを選択した連合のメンバーの もどかしさ や 憤りも、そこに参加していた 少なくともひとりの議員の 同様のもどかしさも 感じながら、「政治家だからできないことがあるんだよ」と言った ある政治家の言葉を思い出していました。

なかなか表に出てこない それゆえに裏を取れない 国際政治の奇々怪々さに触れれば触れるほど、この世の問題を 政治家の責任だけに帰していても 解決されないと感じます。

もちろん 今回のような場が設けられることも そこで反原発連合の方たちが求めていることも そして彼ら/彼女らの活動も とても大切なものです。しかし それだけ に頼っていても仕方がない。


ものごとを
多角的/多義的に捉え
同じ方向に向かって
それぞれが
何をするのか
ということが
私に
そして
すべての人に
求められているのだろうと思います


不思議なことに
ある意味では当たり前に過ぎない その認識が
私のなかに 晴れ晴れとしたものを もたらしてくれたのでした


あとは
思考しつつ実行 あるのみですね。。。



そのさきへ


 この7月に入り 脱原発を求める多くの人々が自らの声を届けるために行動している現実を 大手メディアも報道するようになってきました。7月16日(日)に代々木公園で行われた集まりには 主催者発表では17万人が足を運んだようです。脱原発の動きに乗ってセクトによる勧誘が活発化している という話も耳にしてきましたが、2度ほど抗議の場に身を置いた者の印象としては そういう組織の人たちももちろんいますが これまでのその種の活動では見られなかったであろう ごく普通の人たちが 一個人として足を運んでいる様子がうかがえました。それは 日本のひとの中である変化が起こっていることの 現われなのだと思います。
 そのような動きを チュニジアのジャスミン革命になぞらえて 紫陽花革命と呼ぶ人たちもいます。
 ただ、ジャスミン革命を端緒に中東で展開したアラブの春と呼ばれる“民主化運動”とされる一連の動きに 多くの人が信じたがっている美しい物語とは違う側面を観ている私には、手ばなしでその命名を支持する気持ちにはなれません。どんな場合もそうですが 集まったエネルギーを自分たちの利のために使おうとするものは 存在しており、そのために “正義”をまとって事を起こすものたちも いるのです。(これまでの印象では 官邸前での抗議行動を呼びかけている人たちは そのあやうさを理解しておられるようで、落ち着いた対応をされているように見えます。)

 官邸前で また 幕張の会場で また 映像の中で 原発反対を訴える声を聞きながら、私の脳裏には ある一人の男性の姿が浮かんでいました。

 1968年。
 フランスでは五月革命が起こり 日本でも学生運動がピークを迎えていたそのとき、運動の最中に身を投じ 反帝全学連の委員長に就いていた故・藤本敏夫さんは 大きな挫折感を抱いていたと言います。

   学生運動の燃えさかった六八年、
   人びとが最も大きな幻想を、この動きの中に求めていたであろうそのころ、
   何度も彼は、心の内の大きな喪失感について語りました。
   いくつもの大きな行動の先頭に立ち、
   体に傷を負うことも、警察につかまることも、決していとわなかった彼が、
   実は、この行動のかなたに光が見えず、
   何かを産もうとする可能性を秘めた混沌を前に、
   何ひとつ明示できずにいる自分自身に、
   どれほどか苦悩していただろうことを、今もありありと感じることができます。

   <『農的幸福論』(加藤登紀子・編)より P.1~P.2>


 その後の実際の挫折を経て藤本さんが辿り着いた「農」と いま原発を巡って多くの人の声が求めているものは その根底において「いのち」というものによってつながっています。

ひとをはぐくむ日常へ


先日 初めてヘッドスパなるものを 行きつけの美容室で やってもらいました。
頭皮の凝りは 気がつくと自分なりにケアしてきましたが、洗髪と一緒で 上手な人にやってもらう方が リラックスできますし 格段に気持ちよさが増します。
ただマッサージ同様 やる人によっては ダメージを受けることもあるため 少しだけ躊躇しましたが、なんとなく「大丈夫」という感じがありましたし 今の私に必要な気もしましたので 思い切ってトライすることにしたのです。

髪を整えてもらうことは、仕上がりによって 気持ちが左右されるだけでなく、それ以上に 頭というとても敏感で大切な場所に触れる行為ですから、「美容師さん」は 私にとってはとても重要な存在です。
かつて友人が「私にとってこの世で最も大切な男性は パートナーと美容師」と言っていたのも頷けます。パートナーはいなくても自分らしく生きていけますが、髪型は自分ではいかんともしがたい私にとって もしかしたら最も不可欠な男性かもしれません(笑)。
今の美容師さんとの付き合いは 来年で20年になります。
そういう美容師さんですから ヘッドスパにも不安はなかったわけです。
実際にヘッドスパを担当したのは 「アフロくん」と呼ばれるスタッフの男性だったのですが、その彼の 当たりは柔らかいながらも力強い という相矛盾する要素を兼ね備えたマッサージは とても気持ちよく、そのまま眠りに落ちてしまいそうでした。

ショートヘアの頃は毎月通っていた美容室も 髪を長くし始めてからは2〜3ヶ月に1度のペースとなり、数ヶ月ぶりに訪れたサロンに いつもの女性のスタッフの姿が見えなかったので 気になっていたところ 体調を崩しているとのことで、美容師さんの話から推察するに どうも意識領域のエネルギーの負荷が原因のように思われました。毎日多くの人の頭に触れる仕事ですから、エネルギーに敏感な人は それを処理できなければ 多大な負荷を受けることでしょう。
でも逆に 美容師さんが適切にエネルギーを処理できれば 洗髪からヘアカット・セットアップにメイク そしてヘッドスパまで含めれば、人がその人らしくより良く生きるための 本当の「美のサロン」としてトータルなサービスができる場となります。
美容室は多くの人が定期的に行く 日常のルーティーンに組み込まれている自然な場所ですから、そんな美容室がたくさん生まれれば その国の人の 精神的な負荷はかなり減るのではないでしょうか。

食と衣服(*衣は大薬とも言われます)と美容室が 人を育むものへと変わり それがその国の基本装備となれば どんなに素晴らしいことでしょう【注】。

日常が 人を育むものと なってゆきます。




【注】他の日用品や住宅などの建造物 大地や自然など 整ってほしいものは他にもたくさんありますし、この世のすべて とも言えます。そのなかで 自分の実感に基づきながら変えていける 身近で且つ影響力のあるもの となると、まずはこの3つかな と。
 

分散ではなく 個の自立


 今月の第一週目の週末 2日間にわたって幕張で行われた「NO NUKES 2012」の二日目に 行ってきました。
 このライブ・フェスティバルのメッセージである「脱原発」は、私が志向する「地球を破壊することなく運営する社会」の方向性と 大きく重なります。でも、ここ何年もほとんど音楽を聴かない生活を送り また 人が集まることで生まれる一種の集合無意識の場と それに無自覚に巻き込まれていく人のなかに身を置くことを好まない私は、前日まで 行くかどうか分からないままでした。積極的に行きたいわけでも 積極的に行きたくないわけでもなく、結局は チケットを買ってあったということと その事実からなんとなく「行く流れ」を感じとり 幕張へと向かったのでした。

 演奏が始まる前に 様々な方から寄せられた脱原発に向けたメッセージ・ビデオが流れます。その中の1つで、ある方が「分散型社会へ」ということを話されていました。
 分散化型社会へ という言葉は、これまで幾度となく耳にし 目にしていて その度に 好ましいビジョンとして受け取っていたのですが、この日はなぜか 引っかかりを感じたのでした。
 「一極集中の型」を分散しても 問題の解決にはならないのではないか、と。

 権力を分散しても その中心にある「権力」というカタが変わらなければ、一極集中のカタのコピーをばらまくだけです。中心がひとつであるよりも 小さな円の中心がたくさんある方がまだまし とも思えますが、何かに依らしむ体制は 変わりません。
 分散型社会へ と提言された方は、人々がエネルギーを取り戻すことによって 地域に雇用を生む とおっしゃいました。それも 次のステップとしては 1つの好ましい選択肢だと思います。しかし 「個々人の自立」を第一に そこを出発点に考えた場合、エネルギーをどこかから買うというカタにおいては 同じシステムとも言えます。もちろん 供給者が現在のような電力会社の独占状態から 選択肢が増え 身近なところから購入できるようになるのは 非常に望ましいことです。しかし 思考がそこで止まってしまうと、すべての住まいが 何ものにもつながることなく 自立/自律したもへ という より先の望ましいビジョンへ進むことが難しくなります。いったん 地域のエネルギービジネスで生活の糧を得た人が それを手放すのは容易なことではないと思うからです。

 産業にしろ 権力にしろ システムにしろ、今ある大きなものを分散する という発想では、これからの時代のひな形にはならないのではないでしょうか。

 システムの「中心」を より個々人に近づける、のではなく、個々人がそれぞれ中心である あるいは 中心はない というところから ものごとを発想していく必要があると思うのです。個人が自立/自律できるシステム というものをまず最初に考え、それらをより合理的に機能させることのできるシステムが 次に社会の中で構築されるのが ものごとの筋ではないでしょうか。


 今年の3月に あるベンチャー・キャピタリストの方の話を聞く機会があったのですが、その方は 2015年には 演算機器の延長線上に開発されてきた現在のコンピュータは 終わりを迎えるでしょう とおっしゃっていました。いくら演算機器を改良・改善しても これからのコンピュータに求められているコミュニケーション機能は担えない、自動車をいくら改良しても飛行機はできないように 根本的な発想の転換が必要なのです、と。
 今のコンピュータ・ネットワークも ホストコンピューターに情報が集まるシステムになっています。しかしセキュリティやプライバシーを考慮すれば 個々人が発信者でありサーバーであることが望ましいわけです。しかし、その もともとインターネットが志向していたはずのピア・トゥ・ピアのシステムを担うには 演算機器に基づいてつくられている現在のコンピュータでは無理がある というのがその方の主張でした。そして実際にその方は ベンチャー事業として 次なるコンピュータの開発に取り組んでいらっしゃると言います。
 その次なるフェーズのコンピュータがどういうものなのか その詳細はわかりませんでしたが、話を聞く限り それは より人の意識のはたらきに近くなっていくようです。その方が目指すのは 使い勝手のよい商品でありサービス。より人に寄り添った 人との親和性の高いハードが生まれることで 人の意識が刺激され 更なるハードの創造が進み それがまた人の意識や創造性を後押しし… というような相互作用による共進化がうまれるような気がしています。
 そういう ハードとソフトの共進化が、上に書いたような 集中ー分散という従来型の概念の枠組み(*中心を持つ構造)から人の意識を解放させ 個人の自律/自立をベースとした社会の枠組みを創造してゆく 機動力になるのではとも感じています。






@「NO NUKES」関連の文章は こちらにもあります。

りゅうせい


今年放映された NHKスペシャル『宇宙の渚』。
その番組の中で、宇宙用超高感度ハイビジョンカメラが 地球と宇宙のつらなりを 美しい映像で描き出してくれました。地球を外から眺めることのできる時代に生まれた幸せを 改めて感じます。将来 宇宙への旅がもっと楽になり 機会が与えられたなら、一度は 宇宙空間へ飛び出して 外から地球を眺めてみたいと 切に思いました。

3回シリーズのどの回もが 刺激的で興味深いものでした。
最終回の「第3集 46億年の旅人 流星」では、
通常数ミリ程度の大きさの星くずが いわゆる流星となって空に輝き、それよりもっと小さな極小サイズの星くず(*「塵」と言った方が良いかもしれませんね)が 大気の抵抗を受けながら 燃え尽きることなく 数週間という時間をかけて ゆっくりと地上に降りてきていることを 知りました。その量は なんと1日に2兆個 100トンと言いますから 驚くばかりです【*】。そして そうやって地上に降り注ぐ星くずには アミノ酸などの有機物が含まれていることが確認され、地球での生命誕生と宇宙との関わりが 色濃く意識されつつあります。

それほどの量の星くずが地上に落ちてくるのは、
軌道が太陽系に重なる彗星が幾つもあり
それらの彗星が 太陽に近づくとき
星を構成する氷が溶けて
その星のカケラが それぞれの彗星の軌道上に撒かれるのだそうです。
まさに 星くずの大河を
太陽系の惑星は 年に幾つも渡っているのです。

その
彗星のかけらが 太陽の熱によって溶け出してゆく という現象が、
わたしには 火(熱)と水(氷)による 宇宙のプログラムのように思えました。

  氷によって保持されている 彗星のデータが
  太陽の熱によって
  段階的に 宇宙に放出され
  地球上にもたらされる
  プログラム
  のように

そして
そんなことを思っていたら
宇宙のシステムと ひとの意識も 同じような関係なのかもしれない と
更に想像が広がっていったのでした。


宇宙の進行スケジュールという 一種の「とき」の仕組みがあり、
その中で ひとの意識がアクセスできた領域の宇宙のデータが 氷解して 地上にもたらされる のではないだろうか と。

シナリオは決まっているようでいて 決まっておらず、
ひとの意識によって
宇宙のありよう 特に地球のありようは かなり左右されるのではないだろうか と。


この仮説(空想?笑)の正否はともかく、

今はまだ
あまりにも幼すぎる ひとの意識であり精神ですが、
これからの成長に応じて現われてくるであろう 様々な発見によって
地球(や宇宙)は大きく変わっていくような気がします。
それにより 人の想像(=創造)も より広がってゆき、
両者の相乗効果によって、
地球/宇宙とひと 意識と物質 は 共に進んでいくように思えるのです。





【*】
しかし、毎日地球にもたらされる それだけの量の物質は、その後どのような変遷を辿ってゆくのでしょうか。番組内では説明されませんでしたが 気になります。

くにつくり


前回のブログでご紹介した勉強会。


いのち(を育むこと) を 主軸にした くにづくり



ということを 考えさせられた一夜でした。





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