Earth Design Project

ひとりひとりから始まる あらたな ヒト/HITO の ものかたり
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ヒトのプロセス

 先日NHKで放送された生物学者・福岡伸一さんの「最後の授業」を観たのをきっかけに 福岡さんの著書を検索したところ、『動的平衡』の続編が出ていることを知りました。早速その2冊を入手し 『動的平衡2』を読み始めたのですが、「なぜ食べ続けなければならないか」という章の中で 食物として摂り入れたタンパク質が「消化酵素によって一旦アミノ酸に分解され 全身に運ばれたのちにそこで再び合成されてタンパク質となって体の一部になる」くだりを読んだ時、私の脳裏には それとよく似たものとして浮かんだものがありました。

 「ことば」と「認知/認識・思考」、です。 

 もし機械の部品を交換するように、口から摂取した新しいタンパク質をそのまま体内の古いタンパク質と置き換えられるなら、そのほうが効率が良いようにも思える。しかし、食物のタンパク質は、人の身体を作るタンパク質と同じではない。食物タンパク質には、もとの生物の情報が含まれている。そのため、摂取したタンパク質をまず一つ一つのアミノ酸にまで分解し、再合成する必要がある。

 それは、文章を解体して、アルファベットにバラしてから、もう一度、自分の文体に書き直すことに似ている。ゆえにタンパク質の分解と合成の流れは止まらない。しかも、あらゆる細胞で、どのタンパク質が分解され、どんなタンパク質が再合成されなければならないかは、生命体の置かれた時間と環境の中で、刻一刻、変化しつづける。


<P.84>


いのちのRi(理/利/流)を描く

 私の好きなテレビ番組にNHKの『奇跡のレッスン~世界の最強コーチと子どもたち~』があります。この11月に放送された「合唱編」には 望ましい社会のあり方と重なるような言葉がちりばめられていました。

「合唱は、もちろん みんなで歌うものですが
一人一人に責任が必要なんです。
私がこの合唱団を引っぱるリーダーなんだと
自立する気持ちを持って
全員が合唱の責任者になること。
それができたときに初めて
美しい音楽が生まれてくるのです。」

「歌い手が、人まねではなく
自分の声を奏でる技術を身につけることが大事です。
それぞれの個性を持った声が合わさったとき
素晴らしい音楽が生まれるのです。」

 更に、先日観た「アート編」のダイジェスト版では、一人一人のあり方と そんな一人一人が他の一人一人とともにある素晴らしさについての言葉に、出逢うことができました。

「大事なのは絵が上手か下手かではなく、
自分で自分の作品を観察させることです。
観察することでいろんなことが分かります。
そして新たに知ったことをつなげて
考えを広げていくのです。」


 私が観たこのアート編の副題は、「違いはみんなのために」。


「他の人のアイデアにヒントをもらい
新たなアイデアが湧いてくるのです」

自分以外の可能性が
自分の可能性を広げる

「世界中 どんな場所 どんなモノからも
新しいことを知ることができます。
アンテナを張り続ければ

広い視野を持った子どもに育つのです。」


 他人の真似ではなく そして他人を羨望したり貶めたりするのでもなく、他人や世界との関わりの中で自分の枠を広げ それぞれの表現を見つけていく子どもたちの姿が、とても印象的でした。





 そして同じくNHKの番組である ETV特集『武器ではなく命の水を~医師・中村哲とアフガニスタン~』。医師としてアフガニスタンで活動していた中村さんが 白衣を脱いで取り組んだ水路建設を追ったこの記録映像では、上記の事柄を支える 最も根本的なことが中村さんの口から語られていました。

「食糧生産が上がらないから、栄養失調になる。
それから水が汚い。
それで下痢なんかで簡単に子どもが死んでいくわけですね。
(略)
病気の予防という観点からすれば、
水路一本が医者何百人分のはたらきをするわけで、
これも医療と、命を大切にするという意味ではですね、
決して理屈ではなくて直結しているわけですね。
もちろん医療が無駄だとは決して言わないけれども、
その背景にあるものを絶たないと、決して病気は減らない。
悲劇は減らないですね。」

 中村さんたちが水路を建設した地域では かつての砂漠が緑野となり、平和な風景が広がっています。また、IS(イスラム国)が勢力を拡大している地域は 干ばつのひどい地域と重なっていると、中村さんは語ります。

「私たちの作業地で
食べ物が十分にとれて
自活できるようになったところでは、
それほど強くないんで。
 
やっぱり、
食べられない、そのために傭兵になる、
というかたちで勢力が活発になっていく、
ということは
あるんじゃないかと思います」

「これは平和運動ではない。
医療の延長なんですよ。
医療の延長ということは、
どれだけの人間が助かるかということ。
 
で、その中で、結果としてですよ、
結果として確かに我々の作業地域、
60万人前後の地域では
 “争い事が少ない”
“治安がいい”
“麻薬が少ない”
ということが言えるわけで。
これが平和へのひとつの道であるという主張は、
私、したことは少ないと思います。

ただ、戦をしている暇はないんですよ、と。
戦をするとこういう状態がますます悪くなるんですよ、と。
それにはやっぱり平和なんですよ。
それは結果として得られた平和であって、
平和を目的に我々はしてるわけではない。」



 私たちは「平和」という言葉を口にします。「平和のために」何かをしようと考え、何かをしようとします。でも、「平和」とは ある状態を表現した 一種の抽象的な言葉であり概念。その状態をもたらす原動力や出発点を示した言葉ではありません。
 「平和とは目的ではなく 結果」という中村さんの言葉が胸に響きます。

 いのちを助けること

 いのちを生かすこと

 いのちを躍動させること

 いのちの力や可能性を引き出すこと

 それが自立の基礎であり

 ひいては責任を担うものとなり

 そしてその結果として

 自分や他人の可能性や創造性を広げることとなり

 私たちが「平和」と呼ぶ状態となり

 それぞれが個性を持ってみんなが和することで

 うつくしい歌が生まれる…。

 社会づくりの出発点は いのち

 当たり前のことだけれど、私たちはつい 達成する先のことに気を取られて、出発点を忘れがちです。

 それぞれのいのちが生きる 活きる、ということが全てであって、それがもたらす状態を、人は平和と呼ぶかもしれないし 調和と呼ぶかもしれないし 安心と呼ぶかもしれないけれど、もたらされる状態の呼称よりも それをもたらす出発点のあり様の方こそが重要で、よくよく考え整えるべきものなのだと、気づかされました。

 地に足のついていない抽象概念は、大地を汚していきます。

 いのちに直結していない抽象概念は、いのちを汚していきます。

 平和のためにいのちを奪う という矛盾を、正当なことだと思い込む/思い込みたがる、思考を停止した自立していない人間を作りだしていくのです。

 思考を停止するということは、言い換えれば、いのちを停止する 生きることを止めるということ。そうなってしまえば、生きていると思っていても、実のところ 人として 生き物としては、死んでいるのでしょう。

 私が 無施肥・無農薬の自然栽培に長年興味を持ち かつ今も興味を持っているのは、土や作物の生命力を引き出そうとするそのあり方に惹かれているのだと思います。

 人間は膨大な数の微生物と共生環境をつくっているという視点から 自然栽培や天然菌による発酵食品の良さを理解することもできるけれど、そういう結果をもたらしているのは やはり「いのちを生かし活かそうとする」その出発点なのだと思います。

 最後に、再び「合唱編」からの言葉を。



「合唱とは

もっともっと美しい歌になるように

常に高みを目指して


何度も何度もトライするもの。

このトライが 私は大好きです。


できるまでトライし続ける

素晴らしい音楽への


長い道のり。」









【補記】

 「描」の字源、『字統』には “〔六書故〕に「描と摹と聲相近し。描は輕くして摹は重し」と、その筆意の異なることをいう。黄庭堅の字は筆力軽妙であるので、描字と称せられた。この字は古い字書にみえず、唐宋以後に用例のみえるものである。”と記されています。



無限の庭

 アメリカの絵本作家であり 自然な庭づくりのガーデナーとして有名な、ターシャ・テューダーさん。2008年に亡くなられましたが、彼女の遺言に従って 葬儀はせず 墓をつくらず、荼毘に付された遺灰は 彼女の庭に還されたことを、彼女についてのテレビ番組で知りました。

 ずっと (個人的には)従来の記念碑的な墓は要らない と考えている私は、墓地に代わって 遺灰を大地に返し自然を育む「還っていく森」のような場所ができたら…と思っていたのですが、その番組によって、木々だけの森ではなく 四季折々の草花が息づく「庭(にわ/には)」のような場所が より望ましいイメージとして浮かび上がってきました。

 人の理解を超えた「無限」と断絶することなく その営みを続けている“自然”は、人が その生を終え 宇宙の全体性とも言える“ひとつらなり”のなかへ還っていく場所として 最もふさわしいように 私には思えるのです。

 空間のなかに中間的な領域を創造しようという人間の夢が、現実の世界のなかに物質化されたとき、庭園というものができあがる。この点では、庭園は詩によく似ている。詩はみんなが日常的に使っている言語を使って、自分が現実のなかに出てくる直前の、宇宙の全体性とつながりをもっていたときの言語の状態というものを、つくりだそうとしているからだ。

 (略)

 日本の庭園では、空間を空間として三次元に広げていくことよりも、空間そのものが立ち上がってくる垂直性をもった現象を中心的な主題としている。庭造りにたずさわっていた「山水[さんずい]河原者」と呼ばれる人々は、庭を「造る」のではなく「立てる」と称し、場所に大きな石を立てることから仕事をはじめたのである。現実のなかに指標として石を打ち込み、その特異点から大地の力が放出され、その力が空間に姿を変えて庭園をつくりなしていくようにして、夢の空間を立ち上がらせていったのである。

 (略)

 二十一世紀には、非人格的な存在である「モノ」たちと人間がどのような関係を結んでいけるのかが、とても大きな意味をもってくるだろう。(略)そのような知性を養う場所として、庭園が大きな意味をもってくるにちがいない。庭園こそ、人間が非人格的なモノとのあいだに同盟関係、契約関係を結んで、人間にとってもモノにとっても、それぞれのプログラムを実現できるような関係性をつくろうとしてきた場所だからだ。今日までの庭園においても、植物や動物などのモノは庭園の主要な要素ではあったが、今後はさらに大きな意味をもってくるようになる。これまでは庭園造りの職人たちがなかば無意識に、なかば伝承的に体得した直感によっておこなっていたことを、二十一世紀の世界に生まれるであろう新しい職人的知性は、これを意識化して取り出すことができなければならない。

(中沢新一著『ミクロコスモスⅡー耳のための、小さな革命ー』P.86~P.93)

 その「無限のにわ」の場を立ち上がらせるのは、苔むすことはあってもほとんど変化することのない石 ではなく、刻々と成長し朽ちて次代へと生命が受け継がれていく樹。一本でも 二本でも 何本でも その場にふさわしい樹を植えて、個と全体性 生と死 顕在と潜在 デジタルとアナログ…の ひとつらなりを体感し体得できるような場を、たちあらわしていくのです。
 ターシャさんが「庭づくりには最低でも12年はかかる」と言ったように 時間をかけて…。

 たぶん「庭(にわ/には)」が完成することはないでしょう。

 「無限」が無限であるように…。

 季節の移り変わり

 命の移り変わり

 生物と非生物のかかわりと調和

 はぐくむということ

 いきるということ

 てわたすということ

 うけつぐということ

 ひとがより「楽」に生きるための知恵や知性を 養い育む場として…

 そんな「無限のにわ」は、できれば 自然豊かな場所ではなく、荒廃したところにつくりたい。明治神宮が 荒れ野につくられたように。ターシャさんが 放置されていたじゃがいも畑を すばらしい草原にしたように。

 例えば 天災や人災によって破壊された土地が うつくしい「にわ」となったなら、きっと後から生まれてくる人たちは 人という存在の可能性を 実感を持って確信することができると思うのです。

 ターシャさんが バーモンド州に移り住んで あの「ターシャの庭」をつくり始めたのは、彼女が57歳のとき。それだけでも 人の無限の可能性を信じることができます。

重要なこと。
それはいっさいの「中間」に留まりつづける
ラディカルさを保ちつづけることである。
そのとき大きなヒントを与えてくれるのが庭園なのだ。
(同上P.84~P.85)

【注】RADICAL < Late Latin 「radicalis」(=of or having roots)
           < Latin「radix」(=root)
             < PIE root「wrad-」(=twig, root)


   庭=こちらのサイトによれば、
     「神事・狩猟・農事などを行う場所や、波の平らな海面などもさし、
      古くは何かを行うための平らな場所をさしていた。」とのこと

代々木のもり

先月の末、建築家の槇文彦さんが 新国立競技場の対案を出されました。

新国立競技場の国際デザイン・コンクールで最優秀賞となった案については、既に指摘されているような様々な問題から 私も 見直しを望む者であります。その対案として 2011年までの方針であった現国立競技場の改修案も含めて いろいろなものが提案されていますが、今回の槙さんの案の中で ひときわ私の目を引いたのは、“未来の人たちへ 現在の私たちが何を贈ることができるのか”を考え それを踏まえて示された オリンピック後の活用法についてです。

槙さんは、オリンピックが終わった後 この施設を成人だけではなく子供も楽しめるよう 「国際子供スポーツセンター」(*仮称)を併設することを提案し、「この施設は、外苑東側の絵画館+銀杏並木道が大正の市民から我々への贈り物であったように 平成の都民の未来の子供達への贈り物になり得る。」とおっしゃいます。

私がこの案に強く惹かれるのは、現在 そして これからの人(特に子どもたち)には カラダの適切な動かし方をきちんと学ぶ場が必要であり、槙さんが提案する施設が その場になり得るのではないだろうかと、感じるからなのです。

言うまでもなく 脳はカラダの一部です。私たちの思考は カラダに支えられています。ハンディの有る無しに関わらず、私たちが 持てる可能性を発揮するためには、まず その土台である カラダが持てる機能をきちんと発揮できていることが不可欠ではないでしょうか。カラダのデザインに即した“合理的”な カラダの使い方ができるようにすることは クニづくりの根本である「人づくり」の第一歩だと思うのです。


いま、スポーツトレーナーの中から 正しいカラダの使い方を伝えようとしている人たちが出てきています。以前の記事にも書いたように スポーツやダンスのプロの動きが 必ずしもカラダによいわけではありません。あるトレーナーの方は「プロのスポーツ選手は それが不自然だと理解した上で パフォーマンスがあがるカラダの使い方をしている」とおっしゃっていました。最近読んだ トレーナーの方が書かれた本にも、カラダには適度な硬さが必要であり 「そもそもヒトの股関節はその構造上、前後左右に180度開脚できるようにはできていません。通常、両脚は前後に140度前後、左右には90度前後しか開かないようにできているのです。(略)開脚は、ある意味異常な姿勢です。一般の人は、開脚をする必要も効果もありません。」とありました。しかし現実は、断片的な情報が溢れる中 “素晴らしいプロ”の動きを そこに至る様々な知識や努力が欠落したままあこがれ真似て 不適切にカラダを動かしていたり、体育の授業や カラダをケアし調えることを生業としている方達においても 間違った情報を提供していることが少なくありません。

理想は、保健体育の授業が適切な内容になり カラダに関わる仕事(*靴の製造・販売なども含めて)をしている方たちが適切な情報を提供できるようになることであり、それを目指して いまから環境や制度をととのえていく必要があるのですが、そのヒナ型として 槙さんが提案される子供向けのスポーツ施設を活かせるのではないだろうか、と思うのです。

私は、スポーツ施設のコンテンツについての槙さんの提案に、「ヒトのカラダは本来どのようにデザインされていて どのように動かすのが理に適っているのかを知り、それに基づいて動かす」ことを加え 脳科学や医学の分野からのサポートも得ることを提案したいと思います。更に言うなら、カラダは意識や環境と不可分な関係にあるので “自らのカラダを置き その中でカラダを用いる「環境」を 自然と共につくっていく”視点から、自然環境や地球学のような分野のサポートも得たコンテンツができると良いなぁ と思うのです。その視点は、素晴らしい人工の杜を持つ神宮の 外苑の場がスポーツ施設のために提供されていることとも つながっていくように思えます。(*常時更新され続ける「触れる地球」も どこかに置きたいものです。私たちのカラダを取り巻いている ある意味では私たちの皮膚の延長とも言える地球の、まさにリアルタイムの状態を観ることができるのですから。)



内苑の杜が その維持や調査において 生物に関わる様々な分野の人たちを緩やかに結びつけ それらの最新の知見が統合され生かされているように、外苑のその施設が もう1つの自然であるカラダに関わる様々な分野の人たちを緩やかに結びつけ それらの最新の知見が統合され生かされ伝えられる場にできるなら、あの代々木の地は 新たに代々伝えうるキ(機・輝)を得ることになります。

  大正の人たちは、

  人が関わることでよりよい環境や自然をつくることができる例を示してくれ

  その「現物」を 贈ってくれました

  いまを生きる私たちは、

  未来の人たちに

  よりよい身体や環境をつくっていく 一つの起点となるような 

  情報発信と体験の場を贈ることができます

  そういうアプローチによって

  内苑と外苑が

  より有機的につながっていくようにも思えます

延びに延びていた国立競技場の解体工事は 9月29日から始まるようです。

解体されてしまえば 改修の可能性は消えてしまいますが、「有蓋で12日間の音楽中心のイベントと 無蓋で365日大人も子供も楽しめる環境の どちらを貴方は選びますか」という槙さんの問いかけは生き続けますし、よりよい未来を創る機会も まだ充分に残されています。

いま、わたしたちは どんな未来を描き、何を伝え 何を手わたしていくのでしょう。

生物として

昨日 ふと思い立ち
知り合いが経営メンバーに名を連ねる会社のHPを 久しぶりに開いてみました

有用微生物の研究をてがけるその会社の「我々が追求していること」には

次のように記されています

現在の科学では、生命現象の多くがまだブラックボックスの中にあります。このブラックボックスを完全に解き明かし、人間が生物を完全にコントロールしたシステムを構築しようとするのが現在主流になっている考え方です。もう一方の考え方は、生物が生物であることを受け入れ、全てを人間が理解しないままでも生命の現象を人間の為に利用することができるシステムを作り上げるという考え方です。

現在、生命科学技術の発展の為に投資されている研究資金のほぼ全てが、前者の考え方の実現するシステムの構築に対して投資がされています。しかし、現時点で生物を利用した様々な活動(農業、食品、科学、製薬)で実際に大きな経済価値を生んでいるのは後者の考え方で構築されたシステムだけであるという事実にはあまり注意が払われていません。

(略)

生物を生物のまま利用するために、我々は生物が生きようとする力、環境に適応しようとする力にもっと謙虚に注目すべきであると考えます。人間が考えた理屈を生物に押し付けるのではなく、生物を生物として受け入れ、自然に対して謙虚に、生物と共に地球環境を維持する世界を作ること。我々はこのことを追求して行きます。

「生物を生物として受け入れ

 生物が生きようとする力 環境に適応しようとする力に注目すべきである」

この認識は 自然栽培にも通じますし、
いま私がまとめようとしている人間観にも 共通するものです

「人も生物である」ことを忘れてしまったが故の 現在の社会。
人は 他の生物に対してやってきたように 自らの存在に対しても接してきたのではないでしょうか。

 

    頭だけで考えた理屈を押し付けるのではなく

    生物であること受け入れ

    自らに対して 自然に対して 謙虚に

    生物とともにある世界を作ること



“生物としての人”にもとづいた社会システムを
わたしたちは 考え 実現を目指します

たようせい

先日アップした記事に「多様な要素があることや 刺激が多いことが 一概に良いとは言えませんが…。」と書きました。そこでは「多様な要素があること」と「刺激が多いこと」を 同列に扱ってしまいましたが、「要素」と「刺激」は まったく別の概念です。

現代社会や都市環境は 情報があふれ 刺激が多い、ということは おそらく誰もが同意されることと思われます。10年前 自分の内面に向き合わざるを得なくなった私が 一番最初にしたことは、ちまたにあふれる情報の遮断でした。テレビ、雑誌、音楽…といった人工的なものの一切を 当時の私(の身体)は まったく受け付けなかったのです。そして 自然のなかにいて 自然と触れあうことで、自分のなかの何かが回復していっていることを観じていました。

それは何を意味しているのでしょうか。

大橋力さんの著書『音と文明 音の環境学ことはじめ』のなかに そのヒントがありました。

ほとんどが人工のものによる音で構成されている「街の音」は (音が響く)時間や空間が小さく区切られた“断片”の寄せ集めであり、その断片の音も周波数帯が狭く スペクトル構造が単純で 時間的な変化もほとんどありません。狭い時空の範囲に 離散的な音が集まっているため、「刺激が多い」(正しくは「刺激が強い」)と感じられるのだと思います。

一方「自然の音」は 時間的にも空間的にも連続していて さまざまなゆらぎを含み ゆっくりと移り変わっていきます。それらは 人間以外のものが発する音が優勢なので 音のスペクトルの幅はかなり広くなります。その「多様な要素」に支えられた 懐の深い場に、私たちはやすらぎと静けさを感じるのでしょう。しかし その「静けさ」は 数値的に静かである ということと同義ではないようです。

日本の騒音基準には 最高で「70デシベル以下」という基準があります。
これは 幹線道路に近接する場所についての基準ですから かなりうるさい音と言うことができます。ところが それと同じ数値を出す場所で 静けさを感じる、とこの本には書かれているのです。

モンスーン・アジアの水田農耕を営む村落環境や、多雨性の熱帯地域で今なお狩猟採集民が棲む森林などに私たち自身が騒音計を持ち込んで実際に調べてみたところ、(略)騒音計の目盛りは、静かな村里の中で50dBA[*ブログ筆者注:デシベル。dBとも表記する]あたりを、また爽快な森のしじまの中で60dBAあたりをベースラインに指し続けるばかりか、ちょっとした生命の営みや生態系のゆらぎによって、その目盛は70dBAの上にまで簡単にはねあがる。それにもかかわらず、感覚感性的には静寂感が保たれ、快適感はゆるぎもしない。
(P.16~P.17)


さらに、この本に載っている「街の音のスペクトル」と「森の音のスペクトル」の図(P.66~P.67)を見ると、「街の音」が20kHzまでの間に収まるのに対し、「つくばの屋敷林の音」や「バリ島の村里の音」は50kHz 「ジャワ島の熱帯雨林の音」や「モンゴル草原の小川のせせらぎ」は130kHzまで そのレンジを伸ばしています。

こちらのページの「3.デカルト的射程の限界を暴く」のところに、スペクトルの図が紹介されていますので、ご参照下さい。)

ヒトの可聴域はおよそ20Hzから20kHzと言われていますから、人に聴こえるのは「街の音」の範囲まで ということになるのですが、その可聴域を超えた高周波の音が 人にとって大切な働きをしているようなのです。
(この点については 上でリンクした対談ページの「5.聴こえない音を聴く脳を見る」を ご参照ください。)

この本には 高周波が豊かに含まれるオルゴールも紹介されていて、その音が「ジャワ島の熱帯雨林の環境音」や「モンゴル草原の小川のせせらぎ」と同じ130kHzまでも広がる幅広いレンジの中で 低周波から高周波にかけてゆるやかに揺らぎながらフェイドアウトしていく ひとつらなりの山脈のようなスペクトルを描いているのを見て、一度その音を感じてみたくなりました。
調べてみると 実際にそのオルゴールの音を体験できる場所があることがわかり、今年の3月初旬に訪ねてきました。

その率直な感想は…
自然の音の方がいい(だろう) というものでした。

ジャワ島の熱帯雨林を訪ねたことはありませんが、バリ島の山麓や スマトラ島の山の中 あるいは屋久島や日本の山々などの音と比べても オルゴールの音は“刺激が強く”“不自然”だったのです。

それが何に由来するのか 実際のところはわかりません。【*補記】

ただ この体験が教えてくれるのは、それがどれだけ細やかに行なわれた測定であり 結果として好ましいことがらとの因果関係が見受けられたとしても その測定や数値から現実を規定することは とてもあやうい、ということです。

このことは 本の著者である大橋力さんもわかっておいでで、持続したひとつの音の中のミクロな時間領域で変容する音楽の信号構造を可視化するために開発した「MESスペクトル・アレイ」について 次にように書いておられます。(*既出の音のスペクトルは この方法で可視化されたものです)

 かつて五線譜が音楽のマクロな構造を視覚パターンとして捉えたように、私たちのMEスペクトル・アレイは音楽のミクロな構造を視覚像に描き出した。では、このスペクトル・アレイは、これまで五線譜が果たしてきたような「音楽と等価の視覚像」あるいはそれに近い「高度に規範的な音楽の鋳型」として機能でき、そのように機能させるべきものだろうか。このような性格の問題についてポラニーは、「手放しの明晰さが、複雑な事象についての私たちの理解をいかほど破壊できるかがわかる。包括的存在について諸細目をこまかく調べるうちにその意味がぬぐいさられ、その存在についての私たちの概念は破壊されてしまう」という。(略)

 音の環境学からは、さらに次の指摘を重ねておきたい。そもそも、私たちがMEスペクトル・アレイ法で描いた尺八やガムランの音の像は、特にそのミクロな領域で変容する構造は、音楽の要素であると同時に、決して再現することのない天然の生物現象の範疇にも属する。それは、例えば獅子が鹿を狩る時のある一回の追跡経験の軌跡にたとえることができる。その一回の分析記録は、経験の蓄積やのちのちの教訓としてはたしかに貴い効用をもたらし、とりわけ洞察の資源として絶大な価値を導くことだろう。しかし、そうであるからといって、果たしてそれが「狩りの鋳型」としてポジティブな効用を導きうるだろうか。(略)狩りの行動の諸細目とは、基本的には生物コードに支配されつつ、具体的には実行される時空系で偶然と必然に揺り動かされながら形づくられる一回性の履歴に他ならないのだからーー。

 それと同じように、人類本来の音楽のミクロな構造も、生物コードと文化コードに基本的プロトコルを支配されつつ、その演奏の場の情報環境を含む多大な偶然の影響をおり込みながら築かれている。その一瞬の姿を切り出したMEスペクトル・アレイは、己自身が創り賞味しつつある音について、そのままでは不可視の断面を顕したものにすぎない。MEスペクトル・アレイ法の有効性は、まず、この複雑なものを瞬時に彫塑し読み解いている非言語脳の活性を啓示し、言語世界一辺倒となった近代文明が自らに施した、眼のうつばりを除くところにある。あわせて音と人とのかかわりの見直し新たな叡智と洞察を築く端緒を開き、その歩みや稔りを評価する役割においてこそ、期待されるべきものだろう。(P.374~P.375)

[*著者注:文中にある「言語世界」の「言語」とは 狭義の言語(=通常言われる言語)ではなく、記号化されるもの・意識化されるもの というより広い概念として使われています。]

「人が知覚できるのは 一部である」という 当たり前のことをこころに留めるとき、「感知・知覚・認知できない多様さを いかに身近な環境に確保し維持できるか」ということの重要性がひときわ大きくなってきます。

生物の多様性 自然の多様性…

そういった多様性は、ヒト/人という存在の本来の能力を開花させ 可能性を育み担保するもののように思えます。それらは 自覚されえないシン-putareを支えてくれるものであり、その領域において 私たちとつながっているものでもあります。

「環境」というものを、自分自身の延長・身体の一部(ひいては脳の延長であり一部) として捉える視点が いま 求められているのではないでしょうか。また それは、未知のもの・未完のものが 自らのうちに在ることを知り それとともにいきる、ということでもあるのだと思います。








【*補記】(2014/06/18(水))

高周波オルゴールの音と豊かな自然の音の違いが 何に由来するのかわからない、と書きましたが、一つはっきりしていることは その音を構成している要素の数です。一種類の金属が弾かれた音と さまざまな自然が織り成す音。たとえ周波数の幅が同じであっても そこに含まれるものや響きや体感・観覚は 違っていて当然ですね。




【補記その2】(2014/07/02(水))

上記の補記に関連して。
ライアル・ワトソンさんの著書『エレファントム 象はなぜ遠い記憶を語るのか』のなかに 次のような記述があります。

 バーニー・クラウスは著書『野生の聖域へ into a wild sanctuary』の中で、音の棲み分けという考えを持ち出している。それぞれの種は、音響的“なわばり”を持っている。つまり意志をうまく伝達するために、他の種に使われていない周波数を自分のものにしている。
 (略)
 生態が安定したところでは、生物音が切れ目なく全体を満たしている。あらゆる周波数のスペースがきちんと埋められているので、音が一つの完全な状態を保っているのだ。それぞれの地域で、生物たちは互いに穴埋めをするように音を出している。そして象がいなくなった今、象の占めていた場所には音の穴が開いている。
 これは重要な発想だと思う。自然を全体として捉え、その鼓動を聴くことの大切さを教えてくれる。一部の文化において、ある種の音が自然に有効な働きかけをすると考えられているのもうなずけるだろう。彼らは音によって世界の裂け目を癒し、森の隠れた生命を呼び起こすことができると考えている。(P.330〜P.331)

象の占めていた場所に開いた穴を埋めるように 人が音によってはたらきかけ それが有効に働いたとしても、たぶん… いえ きっとそれは 象がいたときの全体性とは似て非なるものになるのだと思います。高周波オルゴールが 同じ周波数の幅を持つ自然環境とは 全く異なる音を奏で、それは後者に勝ることはないように。

人(のはたらき)だけで 世界の全体性をつくり保つことはできません

共有する:コミュニケーション

今日 家人から送られてきたメールで、
台湾で学生が立法院を占拠していることを知りました。
IWJの報道によれば、強制排除を経た今も 占拠は続いているようです。

争点となっているサービス貿易協定の問題点や占拠という方法に対する検討は いまの私にはできませんが、「民意を反映した審議をしてほしい」という意志はおおいに理解できます。

まさに 私はいま 新国立競技場の建設に対して、そのような意志を抱き続けているのです。


新国立競技場の問題に気づいたのは、建築家の槇文彦さんが2013年8月15日発売の『JIA MAGAZINE 295』に寄稿した「新国立競技場案を神宮外苑の歴史的文脈の中で考える」を受けてイベントが開かれることを 家人から知らされたときでした。
ここ10年は媒体を問わず マスメディアの情報にはあまり触れていないので、私は その時まで このようなことが進行していることを知らずにいました。
仮に 報道に接していたとしても 最終案に対する疑問は浮かべど 槇さんが指摘されているような問題には 気づけなかったと思います。今回のコンペ及びそれによって選ばれた最優秀案についての問題点は 先述の論文で槇さんがわかりやすくまとめて下さっていますので、是非ご一読ください。


10月11日に行なわれたイベントには 定員を大幅に越える参加者が訪れ、数カ所のモニター会場が設けられました。その後 メディアでの報道や市民の動きなどが活発化していき この問題への人々の関心の高まりが感じられます。が、それらの問いかけに対して 問いかけられた側からの応答は得られていません。
昨日アップしたブログの記事に基づけば 問いが適切ではないから とも言えるのかもしれませんが、今回のコンペのサイトには 次のようにはっきりと書かれているのです。



私たちは、
新しい国立競技場のデザイン・コンクールの実施を世界に向けて発表した。
そのプロセスには、市民誰もが参加できるようにしたい。
専門家と一緒に、ほんとに、みんなでつくりあげていく。
「建物」ではなく「コミュニケーション」。
そう。まるで、日本中を巻き込む「祝祭」のように。


見直しを求めている建築家の方たちの反応を見る限り 専門家ともコミュニケーションが行なわれていなかったと判断せざるを得ませんし、市民に対しては 疑いのないところです。

自分が住む土地の風景が変わるだけでも わが身の延長として 人は敏感になります。そして 日常的に接する土地でなくとも 大切にしたい場所があります。

新国立競技場が 湾岸などの別の場所に建てられるものであったとしても問題はありますが、今回 多くの人がこのことに関心を持つのは やはり神宮外苑という土地によるものが大きいのではないでしょうか。

私は 今回のことで、自分が 神宮周辺の土地を大切にしたいと思っていることに気づきました。それは天皇や天皇制や神道や神社といった個々の存在を越えて、まさに そういうものを存在たらしめている「場所」そのもの に対するもの。
平たく言うなら、都内で私がもっとも好きな空間が 表参道から神宮周辺にかけての土地であり、その土地が 好ましくない方向へ変わってほしくない、より良くなってほしい、という思いです。
コンペの最優秀案がつくられるなら 間違いなく (私が感じている)あの一帯の空間の心地よさは激減してしまうでしょう。


昨年の12月12日に行なわれたシンポジウム「神宮の森・これまでとこれからの100年ー鎮座百年記念・第二次明治神宮境内総合調査からー」も、急遽 補助椅子が用意されるなど 多くの人が訪れ、神宮の森に対する関心の高さが伺えました。
私も 神宮の森が大好きです。

槇さんが論文の中で触れられている『明治神宮 「伝統」を創った大プロジェクト』を読んで、あの原生林のような内苑の森が 人の手によって一からつくられたことに思いを馳せ、その森と合わせて外苑がつくられ 両者によって神宮というひとつの場所であることを考えると、そもそも外苑を新国立競技場の候補地にしておいて良いのか ということさえも含めて 検討したくなります。

10月のイベントで、既存の緑地を結んで 東京に緑の回廊をつくろうとしている動きがあることを知りました。緑の回廊は 地上と地下の水の回廊でもあります。

森という 自然のひとつのまとまりは、人にとって 特に都市に暮らす人にとって、現在自覚されている以上に大切で重要なものではないだろうかと、このところ 強く観じるのですが、その“森という自然”は 森の場所で完結するものではなく、まわりとも関わり 混じり合って 存在するものです。(*森に限ったことではありませんが。。。)


ヒトの存在 ヒトの在りようを考えると、
脳と身体はつながっており
身体とそのまわり つまり環境は つながっており、
ヒトがヒトとして その可能性を開花するには
取り巻く環境の質が大きく関わってきます。

     建築や風景や環境は
     私たちヒトの身体の一部とも言えます

コンペのサイトの文章ではありませんが まさに
建築とは 「建物」ではなく「コミュニケーション」そのもの
(をつくる行為)
なのだと思うのです

     そこに生きる“ひとつの自然”としてのヒト と
     コミュニケーションするもの

communicattionの語源は ラテン語のcommunis(共通したもの) あるいはcommon(共有物)と言われています。つまり 共通・共有するもの。
建築は まさに その社会に生きる人たちの 存在のコミュニケーションを担うものに他なりません。そして そのコミュニケーションには、いま生きている人だけではなく 過去生きていた人たちも含まれる…、少なくとも 過去生きてきた人たちをないがしろにしないことが 求められるように思えます。

     誰かが 変えていく 社会ではなく
     みんなで 変わっていく 社会へ…

そのためにも コミュニケーションが必要なのです。
そしてそれは いまから始めることができるのです。





専門も分野も異なる造営者たちが一つの舞台に集い、
真正面から向き合って理想を闘わせることができたからこそ、
ひとつながら多重な魅力が混然一体となった、
明治神宮という磁場の求心力が形成されたのではなかったか。
本書の冒頭で、
明治神宮の「伝統」とは創る伝統にこそあるのではないかと私論を述べたのは
このことである。
ここで筆者がいう伝統の創造とは、
過去に遡って装飾しようとすることではなく、
むしろ今に向き合うことで未来のための拠り所を築こうとする営為のことだ。
画家寺崎武男は、国史絵画の創造を夢見てヴェネツィアから
「世界的な日本を描こうよ」と声をあげた。
同時代と次代に向かって発せられたそのような造営者たちの真摯な呼びかけは、
「未来」を生きる私たちに確かに届いたと筆者は信じるものである。

(『明治神宮 「伝統」を創った大プロジェクト』P.316より)





【参考まで】

*槇文彦さんの論文「それでも我々は主張し続ける」(JIA MAGAZINE 301

2020-TOKYO 神宮外苑と国立競技場を未来へ手わたす会
昨夜行なわれたこの会による公開勉強会で 建築学科の学生が発表した案の一つが とても素晴らしかったと、家人が話してくれました。
(個人的には、最終審査候補作品の中では あらたな森をつくる「作品26」が気に入っています。)
コンペには新しい才能を発掘し育てる役割もあるように思うのです。


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