Earth Design Project

ひとりひとりから始まる あらたな ヒト/HITO の ものかたり
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意識の流れ:「決める」ということ

  「2色しか知らない人がその2色で描く絵と
   100色知っている人がそのうちの2色を選んで描く絵では
   同じ2色を使ったとしても まったく違うものになると思うの」

という ある方の言葉を このごろ折に触れ思い出します。

   使えるけれど 使わない
   できるけど やらない

それは 自らのありようを決める ということです。

***

福島での原子力発電所の事故は 解決の道筋が見えないまま ある種のこう着状態が続いています。そして そんな不確かな状況のもと 現場で命をかけて最善を尽くしている方々がいます。
原発を利用する社会から脱していこう という意識が高まりを見せつつ、しかし一方では 従来の社会システムを保持するべきだという意識が 一度は原発を手放したいと思った方たちの間でも芽生えているようです。

そんな中 私がふと思ったのは、
放射性廃棄物が問題なく処理できる技術を私たちが手にしたとき
原子力発電所をめぐる世論は どうなるのだろうか
ということでした。
放射性物質の危険性という“現実”を思えば そんなことを問うよりも
被災した炉や廃棄物に対応できる技術がまず必要で
それから先のことは そのとき考えればいい、
という反論が投げかけられるのは百も承知の上で…。

仮に放射性物質を完全に処理できる技術を発見できたとすれば
現在の溶融した炉心や廃棄物や瓦礫の問題は解決に向かうわけですが
それは 原子力発電所の危険がゼロになる ということでもあります。
そのとき いま脱原発を主張している方たちは どういう選択をするのでしょうか。

危険だから止める
安全性が確保されていないから止める
というのは とてもまっとうな感覚であり選択です。
物事を判断する上で 必要とされる適切な思考です。
しかし あえてここでは それを前提としながらも
ではもし その危険がなくなったとき どうするのか…
と問うてみたいのです。
それは 危険性を超えて その技術を 私たちの社会がどう位置づけるのか、
もっというなら その技術によって具現しているシステムを 私たちは未来においても選択し続けるのか、という自問となります。
そして今
こんな緊迫した状況にある今だからこそ
二度と経験したくない出来事に遭遇してしまったからこそ、
私たちは 危険性だけに目を奪われることなく
深い痛みとともに
可能な限り広い視野を持ち これから先の長い未来を見据えて
この社会を見直すことが必要ではないかと 思うのです。

私についていうならば
仮に 原子力発電が100%安全なものとなったとしても
これから描く未来に それを採用することはありません。
地下資源 地球の大地を奪って運営する社会が 未来の姿として正しくない と考えるからです。これからの人のありようとして うつくしくない と考えるからです。

その立場からすれば、エネルギーだけでなく 食器や建築といったものも含め 社会のあらゆる構成要素を見直す必要が出てきます。

もちろん 明日からいきなり 地球の大地から何も持ち出さないで運営することは 無理でしょう。しかし 行く先を決めなければ そのための橋渡しのアイデアも技術も 生まれようがありません。

何かに興味を持った時 それに関する情報や体験や気づきが不思議と集まってくる経験をしたことのある方は、少なくないと思います。“ワールド・カフェ”で「問い」を大切にするのは 掲げた問いに意識が導かれることを知っているからです。
ですから いま 私たちは、
少なくとも 私たちの社会がもたらした今回の事態(*原発事故だけではなく大震災が与えた大きな被害も)に日々直面しなくてすむ私のような方たちは、

   できるか できないか ではなく
   どうしたいのか
   どう生きたいのか

を考え 決めることが 必要ではないだろうか、と思うのです。
もしかしたら そのことによって間接的に多少なりとも問題解決に向けた動きをサポートできるかもしれません。

   だれかが 決めてくれるのを待つのではなく
   だれかが そう言ったからではなく
   自分が決める のです

***

昨年、半年間に渡る自然栽培の講座に 参加する機会がありました。
その中で 講師の農家の方が 「土」という文字を取り上げて 繰り返し私たちに伝えたことは

   どうしたいのか
   なにをやりたいのか

という 生きる上での理念となる“縦軸”を立てることの大切さでした。
「縦が決まれば 横軸となる方法は自然に集まってくるから」と。
約40年に及ぶ自然栽培農家としての経験から得られた血肉となった言葉は 聞くものに説得力と勇気を与えてくれます。私が無謀にも思える Ri-デザイン研究所の立ち上げを決めたのも その方の言葉に支えられてのことでした。

   できる できない
   ではなく
   どうしたいのか

ということは 冒頭の

   使えるけど 使わない
   できるけど やらない

あり方とつながってきます。
私たちは 人を殺めるものを含め 様々な技術やシステムや知識や能力を手にしてきました。

そして今
その中から何を選び
そして未来に何を描き 何を創るのか…

   原子力発電の問題も
   正確な現状認識と 私たちの手にしている技術の現実 に基づき、
   描いた未来と現在をつなぐための手段として
   適切かどうか 選択するかどうか を考えてほしいと願うのです。

3.11という 多くの…本当に多くの犠牲を払い いまも払い続けている出来事に向き合っている(あるいは 向き合わされている)私たちは
税制や経済といった社会の仕組も含め
「未来への選択」という決定を いま 求められているのだと思います。

   人の意識が 現実をつくってゆくのだとするならば…

ひとりひとりが
自分の責任において
自分で決める
ことが 求められているのではないでしょうか

   わたしは
   そして
   あなたは 
   いま このとき
   自らのエネルギーを 何に注いでゆこうとしているのでしょう

それは自らへの問いであり また
“未来という希望”から投げかけられた問いでもあります。

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HN:
Ri-Design 研究所
性別:
非公開

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