Earth Design Project

ひとりひとりから始まる あらたな ヒト/HITO の ものかたり
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経世済民:与える流れ(その弐)

【3月18日の続きです】

ただ こういうことを書くと
無償行為を勧めているとか
貨幣経済を否定しているように聞こえるかもしれません。
が 私は 「貨幣制度による “与える流れ”の経済」を構築したい と考えています。

お金がエネルギーであるとするなら
より良い流れに 多く注がれてゆくのが望ましいわけです。
次なる創造を生み出すような 未来への希望につながるような 流れ へと 多く注がれてゆくのが望ましいと考えます。
とするなら、自然や宇宙が与えてくれているもの(*エネルギーや水や空気など)は 基本的にはすべての人に等しく無償で提供されるべきですが、人が創造した“本当の付加価値” については それが望ましいものであればあるほど より多くのエネルギーが流れるべきではないか つまり より多くのお金が払われるべきではないかと 思うのです。少なくとも 清貧 であることは その経済が正しい流れをつくっていないことの指標に思えます。なぜなら 清きものに それを育むエネルギーが注がれていない、つまり 清き行為 清きハタラキを その社会が評価していない ことを示しているに他ならないからです。

ペーパーマネーという言葉が 現在の経済システムを揶揄するニュアンスを持って使われることがありますが、ペーパーマネー… 紙幣とは 紙の幣と書きます。
幣とは 神への捧げものを意味します。
そんな素晴らしい言葉をお金に与えながら 私たちはかつて一度も 紙幣を紙幣たるものとして 貨幣を貨幣たるものとして 用いたことがないのではないでしょうか。
人の神性…人の素晴らしい質やハタラキに捧げるもの として 紙幣・貨幣を用いるなら 清貧という概念は生まれようがありません。

  だからといって
  お金の見返りなく与える行為を 否定しているわけではありません。
  自らの意志として 本当の意味でのボランティアとして行われるハタラキは
  活動としての継続性はないかもしれませんが
  人の魂の最も美しい部分を現わし 与えていると思うからです。
  ただ 人のやさしさや弱さを利用して「ボランティア」を強要する という
  矛盾した状況が現実にはあり(*特に閉じられた人間集団においては
  事実上選択肢がない環境が用意されたりします)、
  それがひいては
  お金をもらうことが悪 という歪んだ認識をつくる元になっていたりもします。


見返りを求めることなく
人の素晴らしさに
人の創造性に
それをより育むものとして
そして 未来へと受け継がれてゆくものとして
(それは「祈り」と言うことができるのかもしれません)
私たちの意識/意志のエネルギーを与え 流してゆく そのシステムを
どう構築してゆけばいいのでしょう。

与える行為としての「贈与」も また それが支配の道具となることを考えるなら、
貨幣経済の問題は 貨幣というバーチャルなものを介在していることに由来するのではなく 本質的には 人の意識の問題です。それはつまり ひとりひとりが 自らの内面を観ることなくしては 本当の意味での「与える経済」は実現しない ということだと思うのです。


<いったん おわり>



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