Earth Design Project

ひとりひとりから始まる あらたな ヒト/HITO の ものかたり
  •  
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • 6
  • 7
  • 8
  • 9
  • 10
  • 11
  • 12
  • 13
  • 14
  • 15
  • 16
  • 17
  • 18
  • 19
  • 20
  • 21
  • 22
  • 23
  • 24
  • 25
  • 26
  • 27
  • 28
  • 29
  • 30
  •  

生き=意気=粋の社会へ

 この間 湯船に浸かっていたとき、「かつての日本列島は 芭蕉の時代の深川みたいな雰囲気だったのかもしれない」という考えが、ぽっかり 浮かんできました。お風呂に入る直前に目の端に入ってきた自然災害に関するテレビ番組と 先日読み終えたばかりの本の記述が、わたしの中で相互作用を起こしたようです。

 芭蕉が俳諧師として立ってから住んだ場所として最も長かった深川六間堀の芭蕉庵は、私が生れて八歳まで育った家から三百メートルくらいのところにありました。(略)

 「名月や門[かど]にさし來る潮[しほ]がしら」と、深川で最も怖ろしいものだった海の潮に面して暮らしていたわけですが、このあたりは芭蕉が江戸に下る二年前の寛文十年にも、六間堀の草庵に入った延宝八年冬のその年の夏にも、また芭蕉が客死した関西への旅立ちの直後にも、大水や津波に襲われており、特に移住の年の八月六日には、深川、本所で死者千人余りを出す津波があったことが記録されていますから、まさに人間の命を瞬時にして奪う“荒ぶる自然”に身をさらして生きることを自分に課したといえます。(略)

 このような形で自然と直面する生活の中からは、文化の約束に厚く包まれた都(宮処)を中心とする“雅び(宮び)”な自然の詠嘆は生れにくいでしょう。私は『枕草子』の「宮び」の典型のような機智に溢れた、しかし自然に対して人間が根本的に“安心しきった”自然の把握が好きではありません。(略)

 芭蕉から三百年近くあとに、芭蕉庵のあった土地に生れて育った者として思うのですが、この辺りは幼な心にもいかにも殺風景で、貧相で、およそ優雅とか高貴とか偉大といったものとは縁のない、それでいて人気[じんき]のさばさばしたところでした。人と人のつくるしがらみのわずらわしさが、この草と潮の匂いのする新開地では、なくはないまでも希薄だったのだと思います。誰もが同じ風来坊の集りで、大名の下屋敷はありましたが、神田や日本橋のような大店[おおだな]もなく、みな似たりよったりで、同じ町内に住んでいても職種が違うのでその面での干渉や拘束がありません。火事や水害に頻繁に見舞われる中で、同じ土地に住む者同士の一蓮托生の思いが、互いのわけへだてのない人なつこさをつくりだしてもいると思います。京洛の“雅な自然”とは正反対の、“荒ぶる自然”にさらされた日常。その裸の痩我慢、空威張りから、この辰巳の一郭のふっきれた意気=粋のエートスも生まれえたのだと思います。

<『人間にとっての 音↔︎ことば↔︎文化』P60.-P.66>

 巨大なユーラシア大陸から剥がれた東の縁を骨格にしてできあがった日本列島には、アフリカから東へ東へと進んできた風来坊…未知なる冒険に惹かれる心に突き動かされてきたものや、かつていた場所から追い出されたり 住みにくくなって移動してきたものたちがいたことでしょう…が、似たり寄ったりのお互い様で、揺れる大地や火を吹く山や押し寄せる波の“荒ぶる自然”にさらされながら 生き=意気=粋抜くなかで生まれてきたコトバが、(未知なるものに自らを明け渡す)「さようなら」であったり「すみません」であったりするんじゃないかと思えたのです。



 昨年末に神奈川県立歴史博物館で催されたかながわの遺跡展「縄文と弥生ー時代と文化の転機を生きた人々ー」では、縄文後期・晩期の世界的な気候の寒冷化による植生変化に 柔軟に適応してきた祖先の姿が紹介されていました。そのなかで興味を惹かれたのが、人々はそれまでのような大きな集落をつくらず日常的には少人数のグループとして分散し 祭祀などの特別の機会に多人数が一堂に会してその集団のまとまりや自覚を維持しながら 一つの居住地に固執することなく半ば非定住的な暮らしを送っていた、という点です。

 地球温暖化が急速に進んでいる(ように見受けられる)現在、ヒトが環境に及ぼす影響を自覚して その対策を取ることは言を待ちませんが、仮に ヒトが環境に与える影響がゼロにできたしても 縄文時代のような(人為を超えた)地球あるいは宇宙規模の気候変動は避けられないわけで、地球的な気候変動に対する備えや社会づくりは 常に求められています。

 縄文海進のときの海岸線を一つの基準に 土地利用を再考したり、人口増加とともに埋め立て拡大してきた海岸線の土地を海に返していくような計画を立てて ひとつひとつ実現していくこと、あるいは ヒトがどの程度まで自然の営みに手を加えるのかというような棲み分けをしていくこと、などなどに加えて、災害からの避難ということも想定した 一種の新・非定住 あるいは多住的なライフスタイル[*すでに実践している人や ビジネスが登場していますが] そしてそれに即した住まいのあり方や税制などの社会制度 というものを考えてみる時期にきているのではないかと思うのです。

 いま、災害対策に留まらずあらゆる面で、これまでの「社会にヒトが合わせる」あり方ではなく、「ヒトに合わせた社会」「生物としてのヒトを主にした社会」をつくっていくことが求められています。(歴史的な経緯は違うかもしれませんが)ヒトが暮らしやすい社会をつくるために 様々な仕事があり それらをコーディネイトするものとして「経済」があり その一つの道具として貨幣がある、と捉えるなら、現状は主客が逆転して お金を回すためにお金を使いましょう という言説がはびこっています。それは多分 現行のシステムが適切ではないから。ヒトがその可能性をひらき安心して命を全うできる社会のために どういう経済の仕組みが必要なのか。小手先ではなく 根本的[=ラディカル]なところにまで立ち返って考え 新たなるものをつくりだしていかなくてはならないでしょう。

みちすじ


死はおそらく
生が産んだ唯一無比の 最高の発明品です

それは生のチェンジエージェント

要するに
古きものを一掃して 新しきものに道筋をつくっていく
はたらきのあるものなんです


Death is very likely the single best invention of life.

It's life's change agent;
it clear out the old to make way for the new.


スティーブ・ジョブス氏のスピーチより)





過去から未来へ
先の人から後の人へ
死す者から生る者へ
バトンを確かに渡していける
そんな生命のいとなみにそった社会へと…




03 2024/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30

HN:
Ri-Design 研究所
性別:
非公開

TemplateDesign by KARMA7