Earth Design Project

ひとりひとりから始まる あらたな ヒト/HITO の ものかたり
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ものごとの順番

先ほどアップした記事と関連する 以前記した文章を、
内容的に重なる部分はありますが 参考までに載せておくことにします。
2012年2月21日の文章です。

意識の流れ:「決める」ということ

  「2色しか知らない人がその2色で描く絵と
   100色知っている人がそのうちの2色を選んで描く絵では
   同じ2色を使ったとしても まったく違うものになると思うの」

という ある方の言葉を このごろ折に触れ思い出します。

   使えるけれど 使わない
   できるけど やらない

それは 自らのありようを決める ということです。

***

福島での原子力発電所の事故は 解決の道筋が見えないまま ある種のこう着状態が続いています。そして そんな不確かな状況のもと 現場で命をかけて最善を尽くしている方々がいます。
原発を利用する社会から脱していこう という意識が高まりを見せつつ、しかし一方では 従来の社会システムを保持するべきだという意識が 一度は原発を手放したいと思った方たちの間でも芽生えているようです。

そんな中 私がふと思ったのは、
放射性廃棄物が問題なく処理できる技術を私たちが手にしたとき
原子力発電所をめぐる世論は どうなるのだろうか
ということでした。
放射性物質の危険性という“現実”を思えば そんなことを問うよりも
被災した炉や廃棄物に対応できる技術がまず必要で
それから先のことは そのとき考えればいい、
という反論が投げかけられるのは百も承知の上で…。

ロゴ・マーク


太陽黄経0度
1年の始まりとも言える 春分の今日
頼んでいたロゴ・マークが届きました


まったく想像していなかったデザインでした


とっても 気に入りました


今はまだ明確ではありませんが
私の中に そして これからの私に
このロゴ・マークによって刺激されるものがある
と 直観します


才ある方に頼む
また
他者と共につくる
おもしろさ と 醍醐味 です





*logo とは logos(宇宙原理 真理 論理 言葉)に由来するようです





経世済民:与える流れ(その壱)


この宇宙が ある一点 あるいは あるゆらぎ によって 始まったとするならば、
この宇宙は 「エネルギーが与えられる」ことからスタートしたことになります。
私たち ひとりひとりの存在も、直接的には両親から もっと大きな視野で観るなら宇宙から 与えられて この世に送り出されます。

すべては 与えられること から 始まり
その 与える というベクトルは
見返りを求めることなく
逆流することなく
次へ 次へ
未来へ と 手渡されてゆきます。

その 自然の流れ あるいは 宇宙の流れ に対して
私たちの社会…特に経済の流れは それに反しているように見えます。


  お金は エネルギー です。
  お金をどう使うか は、お金という媒体を通じて エネルギーを 何に注ぐか、
  どのような エネルギーの流れをこの世につくっていくのか と同義です。
  そして エネルギーとは何か… と追求してゆくなら
  やはり宇宙の始まりにたどり着き、
  宇宙の始まりから今までを振り返れば
  それは 創造のハタラキ 創造のプログラム 創造の根源
  という認識に至ります。
  あるいは 生かし合うハタラキ と言うことができるのかもしれません。
  そのハタラキの現象が 粒子性であり波動性なのかもしれません。


太陽は無償で降り注ぎ
水も空気も 与えられていて
穀物の種は一粒万倍の実を結び
自然や宇宙は 気前よく 与え続けています。

なのに
人間は 気前よく与え続ける自然に 育まれていながら
いつの時代も 奪い合いや獲得に汲々としてきました。
足りているのに 足りないと思い込み 思わされ
自らのうちに溜め込み 確保しなければ 生き残れないという恐怖のうちに 暮らしています。

  先日参加した講演会で あるシンクタンクの研究員の方が
  「世界規模で見た場合 穀物は供給過剰である」と断言されていました。
  そして、トウモロコシによるバイオエタノールの生産は
  余剰穀物を売るための手段でもあるのだと おっしゃっていました。
  「食糧問題は生産量の問題ではなく 分配の問題である」ことは
  遅くとも1970年代から指摘され続けてきましたが、
  私からしてみれば保守的な組織の方が
  それに同意する発言をしたことが 驚きであり、時代の変化を感じたのでした。
  これから環境の悪化によって食糧難が訪れる可能性はありますが、
  それは 人間が地球を汚してきたツケであり
  自然の供給能力の問題とは言えません。

国のお金の流れも、徴税という「集める」行為から始まります。

  人により国家観は様々でしょうが、
  これまでの国家や国家観の歴史を云々するのではなく
  いま存在する国家という枠組み 社会の基盤を
  これから未来に向けて どういうものにしてゆきたいのか を考えることが
  この時代に生きる私たちがやるべきことではないでしょうか。
  私の考える国家とは
  構成員である国民を育み活かすためのシステムです。

  「経済」という言葉は 「経世済民」を略したもの。
  経世済民とは「世を經(おさ)め、民を濟(すく)う」ことを意味し、
  元々それは 政治・統治・行政全般を指し示す言葉であり
  それは私が言うところの「まつりごと」です。
  更に言葉をみてゆくと、
  「経」とは「筋道を立てて治める」
  「済」とは「水量を過不足なく調整すること。
  すくう・なす・わたる/わたす」という意味を持っているようです。
  言葉にとらわれる必要はありませんが、
  経世済民という言葉の原義は 私の国家観と重なります。

個々の経済活動も
一部に 事業やハタラキを育むような「与える流れ」もあるものの
主流は お金と財・サービスの「交換」 ギブ・アンド・テイクに基づく行為です。


私たちはいったい
いつ どこで 宇宙や自然のあり方から逸脱してしまったのでしょうか。


<つづく>


ごあいさつ


 生まれてこの方 今の社会のシステムや枠組みに 言いようのない「そぐわなさ」を感じながら生きてきました。私の感覚にフィットする社会が 他の人にとってよいのかどうかは分かりませんが、少なくとも もう少し選択肢があってほしいし 選択肢が多い社会はたぶん他の人にも生きやすいものになる と考えています。そんなこともあって この世の システム/デザインを 一から考え直すために Ri-デザイン研究所という“場”を立ち上げました。

 私が ずっと 根本から考え直したかった/捉え直したかったもの のひとつに 「経済の仕組」があります。経済の知識もないものが 果たしてそんな事ができるのだろうか と、ずっと傍観し 誰かが素晴らしい案を考えだしてくれないかと 待ち続けていました。しかし 寡聞にして知らないだけかもしれませんが 「新しい経済の仕組」と謳っていても 私からすればそれは既存のシステムの上での手直しであって 根本的に見直したものに出逢えないまま 現在に至っています。

 そんなある日 ふと 本当に ふと

   《だったら自分で考えればいいじゃない》

と思いつき
それは 私にとっては目の覚めるような感覚をもたらしたのでした。

   できるかどうか わからないけど
   やってみたいのなら やってみよう… と。

これから この場で綴られてゆくことがらは
そんな私の 現在進行中の思考 の軌跡です。
対象は 「経済」という言葉の元である「経世済民」が指し示すごとく
この世のあらゆるもの となりそうです。
突っ込みどころ満載となることは目に見えていますが
同じ方向性を目指している方と
可視・不可視の領域で刺激し合い 励まし合い 協力し合い
共に進んでゆけたらと 考えています。


流れるコトバ

スクラップ・アンド・ビルド
立て替え 立て直し

固定した “点”の 概念
ぶつ切りの 概念
動けない 動きのない 神や悪魔の 概念
いのちのない ものの 概念

だから 聖書に記される神の所業は
意に添わない者を破滅させることでした

人生において それまでの環境や人間関係が一新することがあります
が それは スクラップ・アンド・ビルド というより
生の流れ です
分断されることの無い ひとつらなりの 流れ です

いきる ということ そのものです
いのち であること そのものです

いきる ことに スクラップ・アンド・ビルド はありません
この宇宙にも ありません

星が爆発して消えたとしても
それは 消えたのではなく
原子レベル あるいは 素粒子レベルに戻って
別のものへ 移行する
流れ
に あるだけのことです

   生産 と 消費
   ギブ アンド テイク
   誕生 と 死
   学ぶこと と 教えること
   内 と 外
   敵 と 味方

分断し 断絶しているのは 意識 です
あるいは 理解する知が足りない ためでしょう

   壊そうとするから ちからを もとめ
   壊そうとするから 恐怖を つくる

   宇宙の流れ に寄り添えば
   変化は いのち そのもので
       いきること そのもので

固定された コトバ 概念
ではなく
閉じてゆく 枠の コトバ 概念
ではなく

流れとしての コトバ

開き 進化してゆく コトバ


いのち としての
いきる ための
コトバ を

はじまり


はじめまして
Ri-design laboratoryと申します。
このたび 2012年2月22日(水)に設立されました。

この「場」を立ち上げるに至った経緯や
どんなことをやろうとしているのか などは
これからゆっくり 綴らせていただくこととして、
まずは このラボのミッションとしてしたためた 設立趣意をお伝えします。


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HN:
Ri-Design 研究所
性別:
非公開

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