Earth Design Project

ひとりひとりから始まる あらたな ヒト/HITO の ものかたり
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いのちのRi(理/利/流)を描く

 私の好きなテレビ番組にNHKの『奇跡のレッスン~世界の最強コーチと子どもたち~』があります。この11月に放送された「合唱編」には 望ましい社会のあり方と重なるような言葉がちりばめられていました。

「合唱は、もちろん みんなで歌うものですが
一人一人に責任が必要なんです。
私がこの合唱団を引っぱるリーダーなんだと
自立する気持ちを持って
全員が合唱の責任者になること。
それができたときに初めて
美しい音楽が生まれてくるのです。」

「歌い手が、人まねではなく
自分の声を奏でる技術を身につけることが大事です。
それぞれの個性を持った声が合わさったとき
素晴らしい音楽が生まれるのです。」

 更に、先日観た「アート編」のダイジェスト版では、一人一人のあり方と そんな一人一人が他の一人一人とともにある素晴らしさについての言葉に、出逢うことができました。

「大事なのは絵が上手か下手かではなく、
自分で自分の作品を観察させることです。
観察することでいろんなことが分かります。
そして新たに知ったことをつなげて
考えを広げていくのです。」


 私が観たこのアート編の副題は、「違いはみんなのために」。


「他の人のアイデアにヒントをもらい
新たなアイデアが湧いてくるのです」

自分以外の可能性が
自分の可能性を広げる

「世界中 どんな場所 どんなモノからも
新しいことを知ることができます。
アンテナを張り続ければ

広い視野を持った子どもに育つのです。」


 他人の真似ではなく そして他人を羨望したり貶めたりするのでもなく、他人や世界との関わりの中で自分の枠を広げ それぞれの表現を見つけていく子どもたちの姿が、とても印象的でした。





 そして同じくNHKの番組である ETV特集『武器ではなく命の水を~医師・中村哲とアフガニスタン~』。医師としてアフガニスタンで活動していた中村さんが 白衣を脱いで取り組んだ水路建設を追ったこの記録映像では、上記の事柄を支える 最も根本的なことが中村さんの口から語られていました。

「食糧生産が上がらないから、栄養失調になる。
それから水が汚い。
それで下痢なんかで簡単に子どもが死んでいくわけですね。
(略)
病気の予防という観点からすれば、
水路一本が医者何百人分のはたらきをするわけで、
これも医療と、命を大切にするという意味ではですね、
決して理屈ではなくて直結しているわけですね。
もちろん医療が無駄だとは決して言わないけれども、
その背景にあるものを絶たないと、決して病気は減らない。
悲劇は減らないですね。」

 中村さんたちが水路を建設した地域では かつての砂漠が緑野となり、平和な風景が広がっています。また、IS(イスラム国)が勢力を拡大している地域は 干ばつのひどい地域と重なっていると、中村さんは語ります。

「私たちの作業地で
食べ物が十分にとれて
自活できるようになったところでは、
それほど強くないんで。
 
やっぱり、
食べられない、そのために傭兵になる、
というかたちで勢力が活発になっていく、
ということは
あるんじゃないかと思います」

「これは平和運動ではない。
医療の延長なんですよ。
医療の延長ということは、
どれだけの人間が助かるかということ。
 
で、その中で、結果としてですよ、
結果として確かに我々の作業地域、
60万人前後の地域では
 “争い事が少ない”
“治安がいい”
“麻薬が少ない”
ということが言えるわけで。
これが平和へのひとつの道であるという主張は、
私、したことは少ないと思います。

ただ、戦をしている暇はないんですよ、と。
戦をするとこういう状態がますます悪くなるんですよ、と。
それにはやっぱり平和なんですよ。
それは結果として得られた平和であって、
平和を目的に我々はしてるわけではない。」



 私たちは「平和」という言葉を口にします。「平和のために」何かをしようと考え、何かをしようとします。でも、「平和」とは ある状態を表現した 一種の抽象的な言葉であり概念。その状態をもたらす原動力や出発点を示した言葉ではありません。
 「平和とは目的ではなく 結果」という中村さんの言葉が胸に響きます。

 いのちを助けること

 いのちを生かすこと

 いのちを躍動させること

 いのちの力や可能性を引き出すこと

 それが自立の基礎であり

 ひいては責任を担うものとなり

 そしてその結果として

 自分や他人の可能性や創造性を広げることとなり

 私たちが「平和」と呼ぶ状態となり

 それぞれが個性を持ってみんなが和することで

 うつくしい歌が生まれる…。

 社会づくりの出発点は いのち

 当たり前のことだけれど、私たちはつい 達成する先のことに気を取られて、出発点を忘れがちです。

 それぞれのいのちが生きる 活きる、ということが全てであって、それがもたらす状態を、人は平和と呼ぶかもしれないし 調和と呼ぶかもしれないし 安心と呼ぶかもしれないけれど、もたらされる状態の呼称よりも それをもたらす出発点のあり様の方こそが重要で、よくよく考え整えるべきものなのだと、気づかされました。

 地に足のついていない抽象概念は、大地を汚していきます。

 いのちに直結していない抽象概念は、いのちを汚していきます。

 平和のためにいのちを奪う という矛盾を、正当なことだと思い込む/思い込みたがる、思考を停止した自立していない人間を作りだしていくのです。

 思考を停止するということは、言い換えれば、いのちを停止する 生きることを止めるということ。そうなってしまえば、生きていると思っていても、実のところ 人として 生き物としては、死んでいるのでしょう。

 私が 無施肥・無農薬の自然栽培に長年興味を持ち かつ今も興味を持っているのは、土や作物の生命力を引き出そうとするそのあり方に惹かれているのだと思います。

 人間は膨大な数の微生物と共生環境をつくっているという視点から 自然栽培や天然菌による発酵食品の良さを理解することもできるけれど、そういう結果をもたらしているのは やはり「いのちを生かし活かそうとする」その出発点なのだと思います。

 最後に、再び「合唱編」からの言葉を。



「合唱とは

もっともっと美しい歌になるように

常に高みを目指して


何度も何度もトライするもの。

このトライが 私は大好きです。


できるまでトライし続ける

素晴らしい音楽への


長い道のり。」









【補記】

 「描」の字源、『字統』には “〔六書故〕に「描と摹と聲相近し。描は輕くして摹は重し」と、その筆意の異なることをいう。黄庭堅の字は筆力軽妙であるので、描字と称せられた。この字は古い字書にみえず、唐宋以後に用例のみえるものである。”と記されています。



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