Earth Design Project

ひとりひとりから始まる あらたな ヒト/HITO の ものかたり
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未来のクニへ(2)

 お目当ての個展を見たあと 服を修理してもらうために立ち寄ったお店に、すてきな風合いと佇まいのコートがありました。それは 藍染めした馬革のロングコート。

 この夏 日焼けで色あせした濃紺の鹿革バッグを 藍で染め直しできればと思い、近くで藍染めをやっている方に問い合わせしたところ、「革を染めると硬くなり 型くずれする可能性がある」との返答をいただき 断念したという出来事がありましたので、その 藍染めの革コートに触れたときの柔らかさが 信じられませんでした。聞けば 藍染めの職人さんと共同で10年がかりの技術開発の末に やっと完成したそうです。

 日本生まれ日本育ちの馬の革に 日本伝統の藍染め という、完全なる「Made in Japan」の品。説明文の中の “「皮」を「革」へと変えるためのなめしの工程では 経年変化を楽しめる植物なめしという手法を使用しています。” という一文は、私に 「人工」という言葉と「工」という文字を思い起こさせました。(ちなみに そのサイトによれば「馬革は基本的には 命を全うした成馬の皮が主流」とか。)

 そして、用事を終え 帰途に着こうと地下鉄の入口を目指しているときに ふらりと立ち寄ったスパイラルビルでも、再び「人工」及び「工」という文字を思い起こさせる文章に出遭いました。

   「ティンバライズ(Timberize)」とは?

   木でつくれないと思っていたものが、木でつくれるとしたら、

   街はどのように変わるのでしょうか?

   木は英語で<wood>、丸太は<log>、

   人の手によって加工された木材とか製材は、<timber>と呼ばれます。

   ティンバライズ(Timberize)は 「timber」から考え出された
   造語です。

   team Timberizeは、
   鉄やコンクリート、プラスチックに置き換えられてしまった「木」を

   新しい材料としてとらえ、木造建築の新しい可能性を探っています。

 スパイラルガーデンで 「Timberize TOKYO 2020」と題された展覧会が行なわれていたのです。




 そこでは、2020年の東京オリンピックを 「これからの東京のあるべき姿を描き出し 新しい価値観を提示するまたとない機会」と捉え、その一つのカタチとしての「都市木造」という未来が提案されていました。







   『東京オリンピック2020の関連施設を
            ティンバライズしたらどうなるだろう?』

   この問いを出発点にして展覧会の企画は動き出しました。

   話し合い検討している中で浮かび上がってきたのは、

   2020年はひとつの通過点であるという意識です。

   仮設、本設、改修と建て方は3つありますが、いずれにしろ、

   そこで終わるのでなく
   その後につづいていくことが大切だということです。

   本設の場合は、新しく建つ建築はオリンピック時のみならず、

   その場所にあり続けるための機能性や柔軟性、周囲との関係性が
   必要となります。

   仮設は、取り壊してしまうから何をやってもいいという前時代的な考え方
   ではなく、

   使用された資材を有効に活用していくことが必要です。

   そして何よりも、そうした沢山の都市スケールの開発が行われることで、

   新しい街が創造されるのですから、
   2020年の先までずっと愛される素敵な街であってほしい。

   その新しい街を考える上での大事なコンセプトとして

   「ティンバライズ」というキーワードは人々の思いをつなげます。

   「木」という素材は、
   環境を意識したこれからの社会に適した素材であり、

   また、森林国日本において歴史的にも重宝され、
   愛され続けてきた素材です。

   オリンピックという国家的なイベントを契機として、

   未来へつながる街を、「木」を中心にしてつくっていくことは、

   ごく自然なことではないでしょうか。

   (展覧会の資料より)

 「現在オリンピック委員会で作成している施設配置やイメージを参考に、施設の集まっている臨海ゾーン」の中から 競技施設を中心とした有明ゾーンと選手村を中心とした晴海ゾーンの施設の模型が展示されていました。

 単なる個人的な好みに過ぎないのかもしれませんが、木という素材が与える柔らかさやあたたかさやしなやかさは それを観る者の皮膚感覚によりそう優しさと懐の深さを感じさせます。また 繊細で美しいラインの模型は 観ているだけでワクワクし、その空間に身を置いてみたいと思わせてくれます。











   これまで木造建築は、
   地産地消のもと森林資源の豊かな地域で積極的につくられてきました。

   しかし、森林を活性化させることは、その地域のみならず

   全国規模で考えていかなければならない問題です。

   特に、森林資源の恩恵を享受している都市部では
   その積極的な活用が望まれます。

   2020年のオリンピックは、
   都市木造の可能性を考える貴重な機会と考えられ、

   実際に都市木造によるまちづくりが行われれば、
   オリンピックはもちろん、

   それ以降の都市の姿に大きな影響を及ぼすことになります。

   1964年のオリンピックが創り出した近代都市としての東京は
   今や飽和状態に達し、

   その役割を終えようとしています。

   2020年のオリンピックは、これからの東京のあるべき姿を描き出し、

   新しい価値観を提示するまたとない機会です。

   (展覧会の資料より)

 いずれも興味深い展示の中に 「新木場につくる8万人スタジアム」がありました。これは 神宮外苑に建設予定の新国立競技場を夢の島公園につくるとしたら という、一つの代替案でもあります。それは 2016年のオリンピック誘致の際の計画に沿ったものでもあります。


















 本当に8万人収容のスタジアムが必要なのかどうかの検討も必要ですが、収容人数がどれだけであれ 大規模なスタジアムは 歴史的な地域である神宮外苑ではなく 新しく拓かれた湾岸地域にした方がよいのでは、という意見は 今なお一つの案として提示され続けているものです。これも個人的な感想に過ぎませんが、そこで提案されている木造のスタジアムは 国際コンペで最優秀に選ばれた案よりも美しく私の目には映ります。

 また、オリンピック関連の建造物を木造化するにあたり その部材を全国に求め、全国各地から届けられたプレカット素材でつくる という案は、「神宮の杜が 全国からの献木によってつくられた」事実と 時空を超えてつながり、場所は違えど同じ東京という場所の 新たな幕開けに相応しい儀式のようにも思えます。




 この展示会を見た4日後に参加した これからの社会のデザインを考える講座でも、2020年のオリンピックを 「(地震や気候の変化など)“常に変動する地球”と共生する しなやかな強さを備えた都市や社会をつくる」きっかけと捉え、いまこのときの私たちの創造力と努力を 非常に重要なものとして認識されていました。
 その内容については 稿を改めて紹介するつもりですが、ティンバライズの提案と重なる視点を挙げるなら、森林の活性化は山村に仕事を生み その結果 湾岸地域にあまりにも偏ってしまった人口を分散する一助となります。また 木材の利用が増えることで 平地と山地の人々の意識がゆるやかにつながり、河口の平野における水の被害を 流域を視野に置いた「川上から川下にかけてのトータルな取り組み」によって考え対処するきっかけとなり得ます。



[つづく]

未来のクニへ(1)

 この半年ほど 服飾デザイナーであるコシノ三姉妹の母を主人公にした連続テレビ小説『カーネーション』の再放送を観ています。『あまちゃん』終了後に「あまロス」となった家人が その心の穴埋めからか 以来 過去のドラマの再放送を録画して観ており、その恩恵というか影響で 『ちりとてちん』は時々覗き観る程度だったのですが その次の『カーネーション』は結構はまってしまいました。

 主人公の服に対する姿勢が、洋服づくりを志した頃に洋裁の先生から言われた

「ほんとうにいい洋服は 着る人に品格と誇りを与えてくれる。

 人は 品格と誇りを持ててはじめて 夢や希望も持てるようになる。

 いい? あなたが志している仕事には そんな大切な役割があるのよ。」

という言葉に支えられているからでしょうか、もともと服には興味があり おそろかにしたくないものの一つと思ってきた私ですが、改めて 「服の大切さ」や「自分にとっての服」ということに意識が向くようになってきました。

 ときどき 「(大切なのは精神性であって)物には興味がない」というニュアンスのことを口にされる方がいますが、そんなとき私は ちょっと奇妙な気分になります。「意識とカラダ」「心とカラダ」「精神とカラダ」は影響し合い共進しているということを このところブログでも書いている私にとって、物と精神もまた影響し合い 共振/共進するもので 分ち難く…いえ 分ちえないものです。ですから 精神性を大切にされるのであれば 物も同じぐらい大切にされるのが自然ではないだろうかと 思うわけで…。
 なにも 物を買いあさることを勧めているわけではありません。また、空腹を満たし 寒暖や雨露をしのげるものがあるだけで ありがたい、という心持ちを否定しているわけでもありません。ただ 物に真摯に向き合うことについて 問うているだけなのです。(かく言う私も 物に真摯に向き合えているわけではなく まだまだ扱いが雑…。そんな自分が今後どのように変化していくのかを楽しみにしています。)


 一言で「物」といっても 大小さまざまなものがあります。その「大」なるものとして思い浮かぶのは 建築や都市空間でしょうか。


 先々週の金曜日の朝 録画していた『カーネーション』を見終わった後テレビを操作していると、関東大震災後の帝都復興計画についての番組が 画面に映し出されました。英雄たちの選択「関東大震災 後藤新平・不屈の復興プロジェクト」です。

 番組の途中から観て 途中でスイッチを切ったので 断片的な内容しか分かりませんが、後藤新平氏が理想とした復興計画を 幾度もの抵抗や反対を受け 縮小や変更をよぎなくされながらも 実現していったその「選択」をめぐる番組のようでした。私がちょうど目にしたのは、国のための理想の帝都計画の予算が 地方に支持基盤を置く政党から 東京に多額の予算が集中することへの異議が出て 大幅に削られ、更に都市計画に不可欠な区画整理事業からも ほとんど国は撤退、それを支えたのが 後藤氏と共に仕事をしたことのある東京市長・永田秀次郎さん、という場面でした。

 区画整理を実現するには 地主から土地の一部を無償提供してもらわなければなりません。そういう困難を受け入れてもらうためにも 永田市長は 次のように市民に直接呼びかけたそうです。

    「市民諸君

     この事業は実に我々市民自身が

     なさなければならぬ

     事業であります

     父母兄弟妻子を喪い

     家屋財産を焼きつくし

     道を歩まんとすれば道幅が狭く

     身動きもならぬ混雑で

     実にあらゆる困難に

     出遭ったのである

     我々の子孫をしていかにしても

     我々と同じような苦しみを

     受けさせたくはない

     これがためには

     道路橋梁を拡張し

     防火地帯を作り

     街路区画を整理せなければならぬ

     これが今回生き残った

     我々市民の当然の責任であります」

 震災復興のただ中にあり 2020年のオリンピックを控えた“今の日本” を生きる私たちにも訴えかけるものがあるなぁ、と思いながら 番組の途中でテレビを消し、予定の外出をしたのでした。


[つづく]



「納得して決める」ということ

デング熱の報道に接しながら、感染場所が東京のど真ん中であることに ずっと違和感を覚えています。

鳥インフルエンザやエボラ熱やウエストナイル熱…

次々に“発症”するウイルス感染。

ウェブで検索すると その違和感を補強してくれる情報はありますし、医療ビジネスのしたたかさ(を通り越した たちの悪さ)を記す方たちも少なからずいらっしゃいます。

事実はいずれ明らかになる 明らかになってほしい と思いながら過ごしている日々、宅配野菜に同梱されていたニュースレターに 下記のような文章が載っていました[*「つづきはこちら」以下をご参照下さい]。私も著者と同じ神奈川県民ですが そのようなことが進行しているとは まったく知りませんでした。
思考停止がもたらす“惨状”と 現在の社会構造(=デザイン)の醜悪さについて、考えさせられます。

「強制」がもたらすのは 思考停止です。

それは 人の創造性や可能性を潰し 生命力を奪うことへつながっていきます。

いのちを中心に据えた いのちを育むクニづくり。

そのためは 狭い範囲での「安全性」や「安心」を超え、いのちというものを より広く トータルに捉える必要があります。そして ヒトがヒトたるゆえんである(また 意識というものの主要な特性である)「選択」が確保される必要があります。その選択も 「納得」したものであることが 大切です。

ヒトという生き物の在りようを知れば知るほど、他者と関わり 他者とつくりあげていくことの希望をかんじます。また 様々な経験から学んでいく素晴らしさと それを担保する(時に急かしたくなるほどの)泰然としたペースの奥深さをかんじます。その在りように 強制という(急いて一色ですべてを塗りつぶしてしまうような)言葉は あまりにも不似合いではないでしょうか。

納得しながら選択し創造する…という在り方は いわゆる“民主主義”のそれと同じです。民主主義というものの本質は いのちのありように寄り添ったものなのかもしれません。その場合、多数決の原理によらない 和解に近い“全員一致”の民主主義のほうが いのちの本質により近いように思われます。

昨日アップした記事のタイトルは「アジール」でした。

アジールとは 強制のない自由な空間。

それは “民主主義”を育む空間とも言えます。

その自由とは みずからとおのずからが調和したところに起因する自主的ないとなみ であり、自主主義とでも表現したい“民主主義”というコトバを介して、アジールもまた いのちとつながっていきます。

いのちは そしてまた いのちを育む社会は、どうやら 自主や自由といった在りようと 密接につながっているようです。


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*著者の大橋崇さん(ナチュラル・ハーモニー所属)の了承を得て ここに全文を掲載させていただきます。文中の「ハーモニック・トラスト」とは ナチュラルハーモニーが提供する 会員制の自然栽培野菜宅配サービスの名称です。


[転載]安藤忠雄さんへの公開書簡

「明治神宮外苑と国立競技場」さんのfacebookに 6月9日に投稿された、建築士・元倉眞琴さんの 安藤忠雄さんに宛てた公開書簡に 大変共鳴いたしましたので、転載させていただきます。facebookの中ではないものの“一つのシェア”というつもりでの転載です。が、問題があるようでしたら 右プロフィール欄でリンクしているRi-デザイン研究所のサイトよりご連絡ください。


文中でも触れられている2016年オリンピックの招致の際の案には、私が知る限りでも 未来を感じさせる視点が盛り込まれていました。

     東北の震災を受けた日本で初めて行なうオリンピックは、
     人類の未来に貢献する「これからの在り方」を提案する

当時 招致委員だったある方は、常に変化し続けている地球の変化を 柔軟に受け止められる「ロバストな都市」として 東京の街を創っていくことを提案されていました。

改修するにしても 莫大なお金がかかることに変わりはありません。

そのお金を より有効に 世界のために使う方向で、2020年のオリンピックというものを考えていってほしいですし 考えていきたいと思います。
(*(歴史を持つ建物を)改修して使い続ける という在り方は、世界の潮流ですし これからの一つの姿でありモデルでもあると思われます。)


***


今日私から安藤忠雄さん宛に以下のような手紙(公開書簡)を送りました。


拝啓、安藤忠雄 様

同じ建築家の知人として、提言を申し上げます。

貴方が独学で建築を学ぶなど人一倍の努力を重ね、これまで多くの優れた建築を創り出してきたことに対して、私は常に深い敬意を寄せてきました。
貴方の姿勢はいつも弱者である名もない人たちへの味方をするものでした。神戸淡路大震災での行動や、東日本大震災での行動はそのことを良く表しています。そして自然を守り、失われた自然を取り戻そうとする運動は多くの人の共感を得ています。
貴方は建築をデザインするとき、「その環境に一番適した建築の在り方は何か」というテーマを追求し続けてきました。六甲の集合住宅での地形と建築のあり方、淡路島での植物のための地形の構築、地中美術館での景観への配慮、表参道でのケヤキの並木を配慮した建築の高さへの配慮など、植物や地形などの自然や景観に対する優しい関わりこそが安藤建築である、ということができるでしょう。

地球環境の危機が叫ばれている現在、世界は貴方という人と貴方のつくる建築が示している環境への優しさを、必要としています。そして貴方がこれまで探求し続けてきたものは、これから向かうべき私たち社会の象徴としての役割を担っています。安藤さん、私は今世界中の人が貴方の「何に」高い評価を与えているのか、そのことを改めて認識して欲しいと思います。

ここで改めて「新国立競技場」の問題を考えてみましょう。
どう考えてもこのプロジェクトはこれまで築き上げて来た貴方の思想、貴方の建築、そして貴方の神話(ストーリー)にそぐわないものです。
樹々を切り倒して神宮外苑を荒らしてしまうことは、ほんの少しの樹木でも守ろうとしてきた貴方の自然観に合わないはずです。
あまりにも巨大な構築物は、貴方のいつもの景観に配慮する態度とも合わないはずです。表参道での提案とどのように辻褄を合わせるのでしょうか。
あるいはこの競技場案が景観的にスケールアウトのものではないと思っているとしたら、貴方のスケール感(音痴)はプロである建築家としては恥ずかしいと思います。
貴方が常に力を貸してきた弱者である名もない人たちに対して、今回は味方にはならないのはどうしてなのでしょうか。 私はここで貴方が勇気を持って行動してくれるものと信じます。
そうすることによって世界を含めた私たちが、これまで信じてきた貴方に対する評価を持ち続けることができるからです。
私は貴方に以下のことをしてくださるよう希望します。
今回の新国立競技場の案を神宮外苑につくることを一度凍結してください。そして改めて、英知溢れるすばらしい改修案のプロジェクトに移行するか、あるいは、湾岸地域にザハ案を建設するかの検討をしてください。
確か前回貴方が提案した湾岸エリアにメインスタジアムを置く「みどりと風の道の提案」は、東京の自然環境を積極的に改善するという、貴方の思想そのものを良く表した優れた提案でした。今からそれをやりませんか。

確かに今では国の体制の一部を担っている貴方にとって、今から決定を覆すことはそう簡単なことではないかもしれません。ただし、勇気を持ってこれが実行されれば、貴方の思想や貴方の建築の一貫性は保たれ、環境と建築の神話はさらに強化されることになります
今の計画を転換することによる多くのハードルは私たち建築の仲間や、市民の仲間、そして世論の力で乗り越えていくことができます。その努力は惜しまない覚悟です。
もし新たな国立競技場に向かって進むことができるのなら、そのとき東京オリンピックは、みんなが心を一つにした本当のお祭りになるでしょう。それがオリンピックの原点なのではないでしょうか。

勇気を持って、舵を取り直してください。                               
                                 敬具

   
                          平成26年6月9日
                       
                              元倉 眞琴

「かんがえる」をはじめる

私たちにとって
自分を取り巻く環境とは どういうものなのか
それは どうあってほしいのか

私たちがつくる社会が
より望ましいものに
なるように
かんがえることをはじめるのに
新国立競技場の問題(=問い)は
うってつけのケーススタディのように思えるのです


私たちが意識を向ける先に向けて
流れは うまれはじめます


2014年5月12日(月) 「シンポジウム 新国立競技場のもう1つの可能性」

戦争をしないという意志

今日、
日本国憲法の第9条がノーベル平和賞の候補として受理された
ことを知りました

推薦状を贈った
市民団体「憲法9条にノーベル平和賞を」実行委員会
9日の夜 その旨の連絡が入ったとのこと

もし受賞した場合
その受賞者は「日本国民」となるそうです

当団体では 現在 受賞に向けて署名を募集中


理を活かす

昨日 自然栽培野菜の買い出しの帰りにランチで入ったイタリア料理のお店は、思いがけず 自然派ワインのみを扱っているところでした。イタリアのものを主に 常時60本は揃っているとのこと。洗面所に置いてあったいくつかのカードの中に 私の地元で自然派ワインといえば必ず名前が挙がる酒屋さんの名刺がありました。前菜で出されたお野菜の瑞々しさが美味しくて 尋ねてみると、地元の自然農法の農家さんのものを使っており、魚は直接漁港まで仕入れに行っているのだそうです。

 

まだ自然栽培野菜がほとんど流通していなかった数年前 大阪の自然食品店の自然栽培入荷メールに登録して以来 そのまま現在に至っているのですが、ほぼ毎日届く入荷メールに記される作り手さんの名前に この1年 新しい方たちが増えている印象があります。

 

ある雑誌で 前号は私の住む地域が 最新号は自然派の食材が特集されていました。

その二冊だけを見ても 数年前とは比べ物にならないぐらい 自然に即してつくられた野菜やワインやそれらを使う飲食店が急激に増えているのが分かります。

 

今月の初めに行なわれた、自然栽培のベテラン農家さんと 山地酪農の代表的存在である酪農家さんと 森と海をつなぐ活動をしている牡蠣の養殖漁業家さんを招いたイベントは、大学の講堂が満席となるほどの盛況ぶり。そのとき 酪農家さんの牧場で研修生として働いている若者達が壇上にあがって 将来の夢を語ってくれるのを聴きながら、以前 その酪農家の方から聴いた「地域に密着した山地酪農の牧場と小さなミルクプラント」という未来像が ゆっくりではあるものの 少しずつ形になり始めている 確かな一歩を感じました。そして 前掲の雑誌の最新号で、通年24時間放牧まではいかないものの 冬期以外は終日放牧している酪農家が出てきていることを知り、その印象をますます強くしたのでした。

 

昨日 買い出しに行ったマーケットで 生まれて初めて瓢箪を食べました。
小さな青い瓢箪の実。

生でもいけますが、お漬け物やグリルにしたら一層美味しくなりそうです。それは 今年の春に新規就農した作り手さんが育てたもので、まだ 販売するほどの量はつくっていないとのこと。「一年目にしては まずまず(うまくいっている)」と伺い なんだか嬉しくなりました。

 


 

数年前、学生時代から環境問題に関心を持ち続けてきた家人と 「ようやく まともなことがまもとに話せる時代になったね。少なくとも その点に関しては 良い時代になったね」と話したことを 思い出します。

 

原発のことも

自然環境のことも

つまりは この地球で生きる/生きているということを、まじめに話すことができる時代になりました。そして そういう「まっとうな営み」を当たり前のこととして実践するひとや それを支えるひとが 随分と増えてきました。

 

自然に即した農や醸造や食は、いのちや自然という「私たち人間がまだ解明できていないハタラキ」を まるごとひとつの仕組として活かしたもの、と言うこともできそうです。また 自らのいのちも そのトータルな「ひとつ」のなかにあることを自覚している営み、とも言えるかもしれません。

全体の調和を俯瞰しながら その一部としての自らの営みを捉える視点ーーー

そういう眼に見守られ 育まれた食材だからこそ、いのちに満ち すっと身体になじんで シンプルに美味しく 戴くことが歓びになるのだと思います。また そういう食材がうまれるプロセスにおいては、大地や自然 それに携わる人たちの健やかさを 損なうことはありません。

 

 

私が利用している 自然栽培の宅配は、化学物質過敏症の方から「有機野菜も食べられない。自然栽培のものしか食べられない」と切に希望されたことがきっかけで 始まったと聞いています。奇跡のリンゴの木村秋則さんは 妻が農薬で身体を壊したことをきっかけに 無肥料・無農薬の栽培へと進んで行くこととなりました。私は昔からタバコの煙がとても苦手でしたが、子どもの頃は タバコを嫌うことがわがままとか不寛容と言われるような時代でした。お酒は飲めないと思っていたけれど 自然栽培の材料を野生酵母で発酵させたお酒なら おいしく飲めた、という話は 何人ものひとから直接伺っています。天然物の鮎なら食べられる とか 完全に自然放牧された牛の乳なら飲めるというひともいます。

 

この世の不調和を伝えるシグナルは “炭坑のカナリア”的存在の人によってもたらされることが 少なくありません。しかし、不自然なものを察知するアンテナを持ち それらを受け付けない ある意味正直な身体を持っているひとは、これまで 我がままとか贅沢という言葉で 切り捨てられてきました。そういった外圧に屈して 素晴らしいそれらの感覚を麻痺させて成長したひとも 少なからずいることと思います。

 

自然栽培には 病害虫という概念はありません。

病気も虫の害も 自然の理に適っていない不自然なモノコトを私たちに伝えるシグナルとして 受け止めます。それは 農という営みに留まらず 人の生き方や社会についても言えること。

不調和を見て見ぬ振りをしたり 仕方ないものとして諦めるのではなく、よりよいものを生み出すための サインとして受け取ることができれば、豊かなモノコトが育まれていくのではないでしょうか。

 

雨後の筍のように

夏の植物のように

生き生きと伸び広がる 自然な生のかたち。

地域によって 土地によって 人によって ことなる滋味が楽しめる

多様な美(味)しさと楽しさと豊かさを

まずは いのちとストレートに関わる食の分野が先駆けて牽引しているように観じます。

 

理に適う

理に合う

というよりも

理を活かす

 

そんなイメージが浮かぶのでした。


 

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