Earth Design Project

ひとりひとりから始まる あらたな ヒト/HITO の ものかたり
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【集まルーズ】file02:漆の山から広がる未来


この7月の終わり 小田原に原田陽輔さんを訪ねました。

原田さんと出逢ったのは 2011年1月におこなわれた漆サミットでのこと。

国産漆の国内最大の生産地である浄法寺で漆掻きの研修を受け 小田原の山に漆を植えていると知り、その活動に大いに共鳴したのです。当時は 私が住む地域の保全緑地にある漆の木の活用についても相談を受けていらっしゃっいました。

その後 漆の山を訪ねたいと思いながら なかなか機会を作れずにいたのですが、
今回 「集まルーズ」という場を得たときに 訪問先としてすぐに浮かんだのが原田さんでした。

現在 日本で流通しているの95%以上が 中国産を主とする輸入漆と言われています。

国産漆と外国産漆を比べると 漆の主成分であるウルシオールが最も多く含んでいるのは日本の漆であり 質が良いのは日本の漆のようなのですが、実感できる品質の差よりも 価格の差の方が大きいからでしょうか 国産漆の流通量は減りつづけてきました。[余談:現在進行中の日光東照宮の立て替えでは 前回使った中国産漆の劣化がひどかったため、高価でも今回は国産漆を使うことになったようです。]かろうじて残っている漆の産地でも 漆掻きの職人は高齢化していて、いつまで国産の漆を使うことができるのか、と危惧されてもいます。そんな現状を受けて 未来へ漆をつなぐために始まったのが 浄法寺での漆掻きの研修や漆職人の育成です。また、漆器作家の中にも 自ら漆を育てる方が出てきています。 

そして 今回訪ねた原田さんもまた そんな漆器作家のひとりなのです。

浄法寺から戻って実家で漆器作家として活動していた原田さんは 小田原の漆器作家さんと知り合い、その方のつながりから 現在漆を植えている山を紹介してもらうことができました。

漆の木は10年ぐらい経たないと 漆を掻くことができません。

今年は漆を植え始めて3年目の夏です。




<植樹後3年経った漆の木>






<漆の葉にも漆の樹液が。
主脈の切断面が乳白色になっているのが分かるでしょうか。>






<漆の木の生命力は旺盛です。

ここは 漆の苗をまとめて植えていた場所。

漆の苗はすべて他の場所へ移植したのですが、

根しか残っていないはずの土地に 新たな漆の木が繁茂していました。>



最初は 背丈以上の草が生い茂っていた荒れ地を、

手伝ってくれる仲間と一緒に 少しずつ 開墾していったそうです。

「ひとりでは できることは小さい。

 でも 仲間と一緒なら スゴイこともできてしまうんです。」

原田さんは「漆の木から広がる未来」という会を立ち上げて 定期的に活動しています。「実働時間よりも 休憩のおしゃべりの方が長いかも」と笑いながら、

続けていくために 無理をしない在り方を模索しているようでもありました。

    なによりもまず 「続ける」ことが最重要課題だと思っています。

事前のやり取りのメールに記されていた 原田さんのそんな言葉を思い出しました。

そしてまた “休憩のおしゃべり”は さまざまなアイデアが出てくる貴重な時間でもあるようでした。いずれは 漆の山に 木工製作などを通して森や木に触れあえる場をつくりたい、というのもそのひとつ。原田さんが現在 木工会社に勤めて学んでいることを ゆくゆくは漆の山でも活かすことができそうです。

原田さんが 自分が植えた漆の木から漆を掻くのは まだ先になりますが、

昨年 知り合いの山の漆を掻く機会があったそうです。



<去年 漆を掻いた山へ連れて行っていただきました>





<ほぼ4日間隔で 漆の木の両面を掻いていくそうです>

*ピンぼけご容赦下さい








原田さんは 現在、漆器作家としての活動は休止し、木工技術を学ぶことにエネルギーを注いでいるため、掻いた漆はまだ使われずに保管されています。

漆器製作だけでは活路を見出せなかったものの 木工に出逢ったことで いろいろな広がりが観えてきたそうです。

確かに 漆器は素晴らしく 個人的にも好きですが、現代の生活の中で活かすには 過去のままではなく 何か違う視点が必要だとも観じます。

面白かったのは、原田さんのご自宅にあった 下塗り段階の器の質感が私たち素人には好ましかったこと。通常の漆の艶も好きですが、下塗りして研いだままのマットな感じが 現代の食卓に映えると思いました。丁寧に塗り重ねる仕事はそれとして、従来の職人さんや作家さんには雑とか手抜きに思える仕上げも、一考に値するのかもしれません。

地元の木からつくった木地に 地元産…それが無理ならせめて国産の漆をさっと塗った拭き漆の器が 学校給食で使われたなら、給食という場がさまざまなものを育む場所と変わるような気がします。(*漆器産地の一つである木曽では そのような取り組みがあるようです。)

以前、漆器の世界を 木工作家の人たちが活性化しているという記事を読んだことがあります。木器が好きな私が このところ気に入っているのは 伝統的な漆器ではなく そういった木工作家の方が仕上げに漆を使っているものです。今年の春に出逢った木の器は 木を天然染料で染めているものでした。

もっと木器が増えてほしい、

と思うのは、その手触りや使い心地だけが理由ではありません。

20年ほど前 陶土の産出地を訪ねたとき、

その 削り取られている山肌が あまりにも痛々しく、

陶磁器が好きだった私でさえ これまでのように 陶磁器がつくられ続けるのは良くないのではないかと思ったほどです。

もっと言えば これ以上 山を切り崩さないでほしい と。



☆☆☆



森は

山は

資源の宝庫です

そして

出逢いの宝庫でもあるようです。

原田さんの漆の山にも さまざまな人たちがさまざまな地域からやってきます。

そして 原田さんが居る小田原には 自然や環境をテーマにしたグループがたくさんあり、ゆるやかな つながりが生まれ始めています。

私が「荒地は荒地の力で」という二宮尊徳の言葉を知ったのも、小田原でおこなわれたイベントでのことでした。

小田原は

山と 川と 海が ひとつらなりになっている

可能性豊かな土地です。

私が 初めて出逢った原田さんを思い出すときにいつも目に浮かぶのは、

山を中心に そこからいく筋もの川がまわりへ流れていくように、講演の内容を書き留めていた絵のようなメモです。

後から伺うと それは思考を纏めていくある手法なのだそうですが、

まさにそのとき見たメモの絵のように、

漆という 縄文時代からの歴史を持つ資源を軸に

原田さんは 山の場から地域のちからを引き出そうとしているように思えます。




<漆の作家さんの家の庭にある 30年ものの漆の木>






<過去に掻いた形跡がありました>

【余談】

建築に関わっているメンバーは 建築素材としての漆にも興味を持っていました。

漆で拭かれた柱や床は つややかでとても綺麗ですよね。

【余談2】

メンバーの一人の出身地が 原田さんが研修を受けた浄法寺のすぐ近く。

また、別のメンバーがずっと探していたという 木製の干支のおきあがりこぼしは、原田さんが勤めている会社が作っているものでした。

なんとも おもしろいご縁です。

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