Earth Design Project

ひとりひとりから始まる あらたな ヒト/HITO の ものかたり
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つち と ひと


前回のブログに記した うぶすな という言葉。

それは 単に その人の出生地や 土地の守り神ということではなく、そこにあるものを育み活かすはたらき と定義しました。私は その「うぶすな」というはたらきを、固定され決まったものではなく、人が関わることで 深化/進化し変化していくものだと考えています。

 

自然栽培歴30年の方は 土は そこに働きかける人の意識によって役割が生まれ それに応じて変化していく とおっしゃいます。具体的に言うなら、人が畑としてはたらきかけ育んだ土地は畑になっていく ということです。

その方の畑は 祖父の時代に入植した 比較的新しい農地で、火山灰土の お世辞にも恵まれた土地ではありませんでした。しかし その方の代になって 肥料も農薬も使わず自然のはたらきを活かして作物を育む自然栽培の畑としての経験を積み重ねた結果、周辺の農家が石灰などを投入してPHを調整した土地よりも 酸性度が低く、雑草もほとんど見られない “作物を栽培するための場”となっています。通常 雑草の無い土は乾燥しており 風雨によって流出・飛散するものですが、その方の畑は 畑としての土の構造がしっかりと出来上がっているため 水持ち水はけがよく 風雨や日照りといった天候の変化にも 柔軟に対応できるようなのです。

そういった一連のことがらを指して その方は「畑に進化した土」と表現するのでしょう。人のはたらきかけや意識によって 大地(など物質や生物)の潜在能力が引き出される のかもしれません。

 

ですから 長年農地として育てられた土が 放棄され まったく別の用途に使われることは、その土地の進化や経験を無に帰すこととも言えます。もちろん 過去の農地すべてが 現在と未来の農地である必要は無いのですが、土地というものを考える時に 大地と人の営みによってそこに蓄積されたものを ひとつの財産として真摯に受け止め 考慮しないのは あまりにももったいない と思うのです。

 

それは たぶん 農地に限らず すべての土地 大地について言えることではないでしょうか。例えば 私たちが まちなみの急激な変化に対して抱く感慨や思いも その場に蓄積された何か “営み”という時間によってしかつくることのできない財産のようなものを 感じるからこそ、のような気がするのです。

 

また そういった特定の限定された場所に留まらず、“地球という大地”と人の関わり いえ 地球とそこに存在するものたちの関わり によって育まれつくられていくものもあります。地球の環境が、初めから与えられた不変なものではなく そこに存在するすべてのものの関わりによって変化し 現在の姿がつくられているように…。

現在の地球環境も ある部分は 人の意識が作り上げたものとも言えるわけで、もちろん 人だけが地球に生きるものではありませんが 人の活動を考えるならば 環境に与える影響はかなり大きく、人が どのような意識で地球という大地と どのような関係を育んでいくかは 今これからの地球にとって重要なことのように思われます。

 

***

 

昨日届いたメルマガに 経済における「不動産」の重要性について記した文章がありました。それは 投機対象としての不動産ではなく、私たち全員がその上に暮らし そこから発っせられるものの影響を受けて生きている 「大地」としての不動産 についてです。そう捉えるなら 経済のしくみが不動産と不可分に結びつくことは 理解できないことではありません。しかし、現状のシステムが 理に適っているとも思えないのです。

 

大地は 地球は、人がつくったものではありません。

が、人が生きる場として用意されたもの と言うことはできそうです。

用意されたもの という表現が恣意的に響くなら 人が生きて暮らす場 としておきましょう。

そうであるなら 人が大地を所有する という概念は 適切ではないように思えます。

また 現状の技術に基づきこれからのことを考えるならば、大地を掘り起こし 地中のものを売買するという行為は 少なくとも過去のものであり、その行為が 自らが拠って立つ礎を破壊している という認識を持つ必要があるようにも思えます。

 

本来 富とは 人が大地(and/or 宇宙の中の地球)との関わりのなかで育み作り上げていくもの なのではないでしょうか。それこそが 人の創造性であり 真に価値あるもの。不動産が富なのではなく 不動産たる大地や地球の上で 共に作られるものこそが 富。その視点から あらたな経済のしくみをつくれないものでしょうか。

 

土地所有に拠るしくみではなく その場で育まれうまれる「富」に拠るしくみ を。

 

二宮尊徳翁が言う「徳」もまた そんな「富」を意味しているように思われるのです。

 

 

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