「いのち」と題したブログのコメントで 生活者 という言葉に触れました。
生を活かす と いうことを考える時 わたしには
進化し続ける流れ
の イメージが浮かびます。
具体的に言えば 私にとっては いま応援している農がそれに当たります。おいしくて身体が喜ぶ野菜たち というだけに留まらず、その農のハタラキによって 土が浄化されてゆくという理解があり さらに そのあり方は 世界中どこでも実践可能であるという普遍性を持っていて しかも 自然という顕われの背後にある「理」を見据えようというベクトルを有しています。それは 滞りなく また 一定の閉じられた範囲内を循環しているものでもなく、どんどん進化してゆく(可能性が感じられる)流れ です。その流れの中では 少なくとも私には 生産者とか流通業者とか消費者という分断はなく 同じ流れを行くもの という 同志のような 仲間のような意識があります。仮に 将来 その農のやり方が変わったとしても あるいは 別の名称になったとしても 大きな流れ自体は変わらないと思える ものなのです。
昨年ご縁のあった林業家の方は 400年の森 をテーマに 林業家としての森づくりをしています。私はまだ伺ったことはないのですが その針葉樹の森は 多様な生態系を保持していることで有名です。
食べ物の場合 環境に負荷を与えない 自然に順応し 未来への責任を担った方法で育てられたものは 品質としても優れている傾向がありますが、木材の場合は その方のような森づくりをしているところから出たものより 違法伐採した原生林からのものの方が 品質的には優れていたりすることも起こりうるわけです。もちろん 感受性がものすごく鋭敏な方は その伐採過程のエネルギーまでも感じ取ることができるかもしれませんが、通常はそこまでをエンド・ユーザーに求めるのは難しいのが現状です。だから この分野においては ものがよければいい という視点だけでは 未来への責任を果たせません。そのために 森林認証制度などがつくられているわけですが それもまた 進化し続ける流れ を作る ひとつの試みだと思います。
彼の森は たとえば 倒木をそのままにしておくなど、短期的な狭い視野で見れば 効率の悪いこともしています。でも 多様であることが豊かであり その豊かさこそが強さである と言うのです。
もっとも美しい森林は もっとも収益高き森林である
というのが 彼の持論。
きっとその森は 今の私たちが想像できうる以上の美しさを 将来 備えてゆくのではないでしょうか。
そんな 進化し続ける流れ を この世の中につくること。
それが 真の豊かさ であり 真の富 ではないだろうか と 感じています。
それが 生活 であり 生活者 ではないだろうか と思うのです。
【コメント】
自然栽培においては、農に携わる方の意識の変化に応じて 土が大きく変化する ことを、複数人の方が体験しています。このことが ある種の法則であるのなら その理が明らかになってゆくのが とても楽しみです。