Earth Design Project

ひとりひとりから始まる あらたな ヒト/HITO の ものかたり
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いのち


 一つ前の記事に引き続き もうひとつ いのちについて過去に記した文章を アップしておきます。昨年12月20日のものです。

*****


 先日 ある集まりに知人が 10ヶ月になる子どもを連れてやってきました。赤ちゃんはエネルギーに満ちあふれているものですが 彼の子どもは更に凝縮された生命力の塊のように ただそこにいるだけで 弾けんばかりのいのちを感じさせてくれます。
 その赤ちゃんは 離乳食にもならない時期に いきなり 自然栽培の人参にかぶりついた【*注】のだそうです(笑)。それは今でも続いていて しかし自然栽培のものならなんでもいいわけではないらしく 自然栽培歴30年以上でかなり土が進化していると思われるTさんの人参以外は くわえてもすぐに口から出してしまうと言います。赤ちゃんの反応は 正直ゆえに シビアです。。。 その話を聞きながら 彼の息子は 野菜のエネルギーを感じて それを吸っているのではないのかな… と思ったのでした。私も はじめて自然栽培の野菜に触れたとき その あふれほとばしるエネルギーに感動したことを覚えています。また 全盲の人が 自然栽培のお米を食べて 全身に光のようなものが流れるのを感じた という話も聞きました。

 長年 自然栽培で育んできた土地は 雑草も虫もほとんどみかけません。
 “栄養”も 一般的な知識からすれば少ないですし、微生物の割合も 低くなってゆくようです。もし そのベクトルが正しいとするなら 野菜の生育には 非物質のものの関与が大きい ということを示しているように思えるのです。それは野菜だけでなく もしかしたら いのち すべてに言えることかもしれません。




【*注】
 正確には「吸いついた」のだと思いますが 傍からは きっと「かぶりついた」ように見えたのでしょう。また この坊やは 同じく離乳食以前に 自然栽培米のおむすびにもかじりついたのだそうです。
 赤ちゃんは何でも口に入れて 世界を知ろうとするものですから 乳離れしていないときに人参をくわえても 驚くことではないのでしょう。ただ どうも親の話から想像するに 確かめる というよりも 欲し 求めて 食らいついた ような印象があります。そういうことすらも子育てを経験された方には 珍しくもない出来事かもしれませんが 私にはとても新鮮な話だったので ここに記しておくことにしました。まあ 考えてみれば当たり前のこと とも言えるのですが…。



・・・・・


【コメント】

おととい参加した講座のテーマが 食 でした。
「食」を扇(/奥義)の要に 新しい文明の価値観を 日本から発信・提供できるのではないか そういう取り組みを始めよう、という呼びかけには 強く共鳴するものがあります。

有名な料理学校である 食のCIA(Culinary Institute of America カリナリー・インスティテュート・オブ・アメリカ)では リベラル・アーツがその教育過程に組み込まれていると 聞きました。

確かに 分断された知を統合するのに また このよを この宇宙を 統合的に知るために、「食」というフィールドは その包容力や統合力や融通無碍さを考えるとき とても適しているように思えます。

…あぁ そうか……。
食 は いのちそのもの つまりはこの宇宙と ダイレクトにつながっているから…。だから 意識を持って観るなら、理(ことわり/り) の多様な顕われを 食という視座から包括的に捉えることができるのですね。

昨日の講座のコーディネーターが言っていた 「アート・オブ・ライフ」 という ありかた、いとなみ。いのちのアート いのちの叡智…。それこそが、これから 日本が構築し 世界に発信してゆくものではないだろうか と思います。いきる文明 いかしあう文明 ということができるかもしれません。それは昨年 防衛大学校の開校記念祭に行ったとき(*「棒倒しを見たい!」という家人の入れ込みように 私も興味をそそられたのでした)に感じたこと…この人たちを殺してはいけない し 人を殺させてもいけない… と つながります。その視点から「自衛隊」という名称を見直すとき 自衛の「自」が 自即他である この地球上の人命を衛る「自衛隊」であってほしい と思うのです。それは この日本という風土と文化で育まれた人に 最も馴染む自衛観ではないでしょうか。それは アート・オブ・ライフの実践としての自衛隊です。更に言うなら 政治…まつりごと とは 本来 最高の芸術 アートであると ずっと思ってきましたし、アート・オブ・ライフという言葉を得た今 改めてそう思います。

ここにおいて アート/芸術とは 理の表現/表出 という意味。ですから 人の営みすべてが アートでありうるのです。


日露戦争の直後の1906年に 岡倉天心がニューヨークで出版した『THE BOOK OF TEA』は、講座のコーディネーター曰く 日本はart of deathの国ではなく art of life(=生の術)の文化を持つ国であることを 国外に知らしめる目的があった とのこと。もし そうだったとするなら、3年に渡って放映された 日露戦争の日本を描いたテレビ番組が この年末に終了することは 何かを暗示しているようにも思えます。

参考までに 上記の本以外の 岡倉天心の著作は『The Ideals of the East-with special reference to the art of Japan』(『東洋の理想』1903年)、『The Awakening of Japan』(『日本の目覚め』1904年)。彼の著作の中では 『茶の本』を買った記憶はあるのですが 読んだ記憶がありません…。

2011年12月22日 23:33



【コメント】

上記の講座のスピーカーのひとりが 消費者 という言葉を使いたくない と話されたことが印象に残っています。消し費やす者 ではないはずだから と…。その方は いまのところ 生活者 という言葉を使っているとのことでした。

私も 生産と消費 という区分には違和感を覚えていました。

ただ 生活者 という言葉は 私にとっては 生協やその他の市民活動に関わる方達が使ってきた印象が強く ちょっと手あかがついた言葉のように捉えていたのです。が、この日 改めて 「生活」という言葉を見直したとき、生を活かす者 という名詞を 新鮮な気持ちで受けとめることができました。生産者も消費者もなく 提供者も利用者もなく すべての人が 生を活かす者。

生活者

いいことば ですね。

2011年12月23日 22:37

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