未来のために いま 私たちは何をすべきなのか
未来のために いま 私たちは何ができるのか
「そう問われているんだなぁ」と ティンバライズの展覧会を観た私は思いながら 二重橋前駅から東京駅まで歩いていると、行幸地下ギャラリー前で「丸の内 行幸マルシェ×青空市場」が開かれていました。色とりどり 様々な農産物が並ぶなか ところどころに立てられた緑の旗には、未来の子どもたちのためにいまどういう食を選ぶのか を問う言葉が記されていました(*正確な文言は覚えていないので もしかしたら正しくないかもしれません/【追記】を参照下さい)。
帰りの電車の中で 家人に ティンバライズのことを知らせるメールを送ったところ、その返信には 夕刊を読んでほしい旨の文字。帰宅してすぐに夕刊を開いてみると 自然栽培のつくり手の広がりを伝える記事が載っていました。私にとって 自然栽培は 未来につながる食の一つの在り方です。家人も 自然栽培を応援している一人ですが、まるで家人が 私が行幸マルシェに出くわし何を見たかを知っていたかのようで そのタイムリーさに笑ってしまいました。
そして、朝 家を出るときは それほど心惹かれていたわけではない後藤新平氏についての番組が 急に気になり、ネットで調べてみると 運良く その番組がアップされていました。早速 見残した部分を観てみると、番組の最後で 2020年の東京オリンピックへの言及が…。
「我々はこの時代に彼のことを考えるのは
とっても大切じゃないかと思うんですよ。
公共財っていろいろあると思うんですけど、
いまの人間だけで考えちゃいけない公共財ってあって、
時間をどんどん超えていく…
つまり その世代の話だけではすまないものって
世の中にはたくさんあって、やっぱり都市の計画なんかはそうで
東京オリンピックを控えている我々がたとえば
今の人だけの利益とかすごく一部の人のための利益を今日やって、
将来 ぼくらのような歴史番組で恥ずかしい目に遭うようなことは
絶対になくあってほしいというふうに 非常に願うし、
やっぱり後藤がこの時代 曲がりなりにも
『生命と健康』を公共の真ん中に置いて奮闘したという歴史っていうのは
それ自体が僕らへの遺産のような気がしたなぁというのが
感想でしょうかね。」
(磯田道史さん/静岡文化芸術大学文化政策学部教授)
折しも今 現国立競技場の解体工事と新国立競技場の建設をめぐる「官製談合」の疑惑が出てきています。その真偽はいずれ明らかになると思いますが、もしも 未来のために流していくエネルギーとしての「お金」が 利権やコネというものによって国家や公共財に寄生しているものたちに吸い取られてしまう現状があるとするなら それは いまこのときに修正しなければなりません。一部の者たちの語らいによる「談合」がはびこり運営される社会は 一種の強制社会とも言えます。選択も創造力も生かされない「強制」は いのちの在りようとは相容れません。ですから、狭い視野での談合の是非に留まらず、そういうシステムを続けていくなら 寄生している者たちも含めた私たちや私たちの社会が いずれ疲弊し破綻することは避けられないでしょう。(*もうそうなっている と言えるのかもしれませんが…)
東京という一都市に多額の国家予算を割くことはできないと国会で判断された「後藤新平氏の復興計画」を実現させた経験は、戦後 全国の都市100カ所以上で戦災復興に生かされたそうです。
あたらしいカタは 一定の地域でまず試してみる必要があります。
オリンピックをどう捉えるか それは人ぞれぞれだと思いますが、オリンピック開催が決まっている現在 あらたな都市・あらたな地球市民の生き方を提示する機会と捉えることで、私たちは 世界から与えられたこの機会を最大限に生かすことができるのではないでしょうか。そしてそれは 東北の震災復興と連携して行われるなら より望ましいものになるのではないでしょうか。
未来につながるあらたなカタは、どういう物をつくるのか というハードに限らず、それをどのように決めていくのか というプロセスにも求められることです。
「僕は福島の復興の現場で
いろいろな議論をするところに身を置いているんですけれども、
議論を 地域の人たちを巻き込んだ形で
(地域の人たちを)主人公にして 議論をとにかく重ねていく場を
とにかくつくらなくてはいけない。その場がないんですよね。
で、そこに お金の問題みたいなものがすぐかぶさって
議論すらさせないような形で 転がっていく……
ということの不幸を感じます。
だから 今 被災地で
後藤新平を待望する空気はたくさんあるんですよ。
でも、だれかそういう英雄的な政治家がビジョンを掲げてあらわれて
そこに身を委ねれば前に進めるのかっていうと
僕は そうではない(と思う)。
そうではないということを覚悟を決めて引き受けて
自分たちで議論を少しずつ組み立てて
自分たちの将来の姿 在り方 地域社会の在り方っていうのを
探していくしかないのかなと思います。」
(赤坂憲雄さん/民俗学者)
*
かつて江戸と呼ばれた東京は、江戸時代 明治維新 関東大震災 第二次世界大戦 と、幾度も大掛かりな都市創造・都市改修が行われた「人工」の地。
「江」は、大地を川が貫いているさま
「戸」は、出入り口 や 扉
この21世紀
江戸たる地は
あらたな流れのとびら となれる
でしょうか
[おわり]
///////////
【余談】
この日の夜 「かもめ」という意味の名を持つ台風が発生しました。
発生した台風の名前が気になっていろいろ調べていた時期を過ぎ このところはそういうこともなくなっていたのですが、今回はなぜか気になって ネットでカモメについて調べてみると、「海と航海の象徴」「国際平和の象徴」「夢や希望の象徴」という言葉がヒットしました。また 「海と陸の境界にいる鳥」と捉えられることもあるようです。
そういえば、ティンバライズの展覧会を見たあと立ち寄ったスパイラルマーケットで 唯一目に留まった品である1枚のカードに描かれていたのは 羽ばたく数羽のカモメ…。
なんだか 朝からいろいろリンクしていった一日でした。
【追記】(2014年10月03日(金))
「丸の内 行幸マルシェ×青空市場」で見た旗に記された言葉は
「子供たちの子供たちも、
その、ずーっと先の子供たちも
食べていけますように。」
でした。
この文章を私は「未来のために いま どういう食を選ぶのか」という問いかけとして捉えていたようです。
この写真は マーケット会場から少し離れた場所で撮ったものです。
この少し先に たくさんのお店が出ています。
通りすがりに 極早稲のみかんが目にとまり、重くならない程度に少しだけ買いました。対応してくれたのは、その和歌山の農家さんのお手伝いに来ていた 東京農大の学生さん(*農業経済学を専攻とのこと)。この日は 学生は少なかったようですが、いつもは たくさんの農大生が助っ人として来ているようです。
そういえば 農大の学園祭「収穫祭」も 食の祭典ですね。