本日 改正郵政民営化法が参院本会議で可決し 成立しました。
郵政事業については 様々な観点から検討が可能ですが、郵便貯金や簡易保険を利用していた人たちは 国/政府を信頼してお金を託していた という視点から考えるとき、公的な機関が その代替となる受け皿を用意することもなく 株式会社という民営企業に変わってしまうことは 最も重要な信義則に反することではないでしょうか。
簡易保険に加盟したり 郵便局に口座を持つのは、地域によっては他の金融機関の選択肢がないからということもあるでしょうが 多くの場合 それが公的な機関であることが 動機のかなりの部分を占めていると思われるのです。少なくとも私が 郵便局に口座をつくった動機は そうでした。
郵政事業にまったく問題がなかったとは言いません。しかし 金融という非常に公的な営みを担う主体が 国や公的なものであってほしいと考える人々の意思に応え 生かす社会であってほしいと願います。
郵政事業に対しては 民業圧迫である という言い方がされることもありますが、金融という限りなく公的なハタラキを 民間会社だけに委ねることには 社会的に大きなリスクがつきまといますし(少なくとも そう考える人たちが存在します)、人々の選択肢を保証するという意味からも 現在の市場原理とは別の価値観で営まれるものが 望む人がいるのならば確保されるべきだと考えます。
また、代替する公的機関が存在しないままの郵政民営化は 国民ヘの信義則違反である ということの延長線上に 紙幣発行の問題も浮かんできます。
私たちは、日本円は 日本という国が発行しているお金だと思って使っています。普段 そこまで意識をしていなくとも 感覚的には「日本という国のお金」と思っているはずです。しかし 現実は 紙幣は日本国発行紙幣ではなく 日本銀行券 なのです。日本銀行は アメリカの中央銀行のような完全な民間企業ではなく 政府が株を持っているから問題ない という意見も耳にしますが、日本や政府への信任によって紙幣の信用が担保されていると考えるとき 日本政府以外のものが そこに関与することは これまた 重大な信義則違反と言えるのではないでしょうか。
政策論は 手法・方法 です。
それ以前に考え 議論すべきことがあるように思います。
手法や方法は 目指す場所へ たどり着くためのものなのですから。
「公(おおやけ)」というものについて 私たちは改めて(*初めて?) 自問し 真剣に考える時期にきたのかもしれません。