Earth Design Project

ひとりひとりから始まる あらたな ヒト/HITO の ものかたり
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だいちを耕す

 家にあった本を何とはなしに繰っていたら 目にとまり手が止まる文章にいくつも出逢いました。『禅マインド ビギナーズ・マインド2 ノット・オールウェイズ・ソー』。帯には、「スティーブ・ジョブズの師、鈴木俊隆師の邦訳第2弾」とあります。

 世界三大宗教の創始者の中で 唯一 神憑りのない釈迦は、いま そして これからの時代において かなり当てにでき信頼できる存在ではないかと、私には思えます。ただ 釈迦の精神が いまどの程度受け継がれているのかについては 門外漢の私には分かりませんので、宗教としての現仏教が信頼できるかどうかは不明です。しかし、少なくともこの本の中には 信頼に足り 自らを導きうる言葉がちりばめられていました。

 その一つが、「11 土壌の世話をすること(Caring for the Soil)」の章。

 扉のページには、「空[くう]とは何もそこに見ることができない畑です。実は空はすべてを生み出す母なのです。そこからすべてのものがやってきます。」というリードがついています。


 ほとんどの人は仏教を、すでに与えられたものであるかのようにして学んでいます。われわれがしなければならないのは、食べ物を冷蔵庫の中に入れるように、ブッダの教えを保存することだと考えています。そして、仏教を学ぶときは、その食べ物を冷蔵庫から取り出すのです。ですから、仏教が欲しいときにはいつでも、それはもうすでにそこにあるのです。しかし、禅を学ぶ者は、そうではなく、田や畑から食べ物を生み出すことに関心をもつべきです。われわれは大地のほうを強調します。

 (略)

 たいていの場合、われわれは何もない土地には興味をもちません。われわれはむきだしの土地ではなく畑で育っているもののほうに興味をもつ傾向があります。しかし、良い収穫を得たいと望むなら、最も重要なことは土壌を肥やし、それをよく耕すことです。ブッダの教えは食べ物それ自体に関するものではなく、それをいかに育てるか、それをいかに手入れするかに関するものなのです。ブッダが興味をもっていたのは特別な神でもなければすでに存在しているものでもありませんでした。彼が興味をもっていたのは、さまざまな畑がそこからできる土地のほうだったのです。彼にとっては、すべてものが神聖なものでした。

 ブッダは自分が特別な人間であるとは思っていませんでした。衣を身につけ、鉢を持って托鉢をし、最も普通の人のようであろうとしました。彼はこう思っていました。「私にたくさんの弟子がいるのは、私のせいではなく、弟子たちが優れているからだ」と。ブッダが偉大な師であったのは、人々についての彼の理解が素晴らしかったからです。彼が人々をよく理解していたからこそ、彼らを愛し、助けることを喜んだのです。ブッダはそのような精神(spirit)をもっていたからこそ、ブッダ[覚者・仏]でいることができたのです。

<P.115~P.118>   


 今日、人という土壌を耕し肥やす助けになるであろう本が 出版されました。

 その内容は、「犀の角のようにただ独り歩め」というブッダの言葉が指す道に添うものでもあります。

 人と交わりながら 自由自律のまま 自分の本性をあらわすこと…


 そのためには 自らのカラダに根ざすことがとても大切だと、感じています。
 その意味においても カラダの意識から離れることのない禅の精神は 大いに助けになるのではないでしょうか。

 土壌の世話ができるような社会を 少しずつデザインしていきたいと思います。




【補記】<上記の本の序文より>

 鈴木老師は、人生を永久に変えてしまうような特別な体験を得ることをめざすという考えを、「間違い」あるいは「観光的な修行」として断固否定しています。しかし同時に、悟りなどないとも言っていません。それは「今この瞬間を忘れて、次の瞬間へと成長すること」だと言っています。「あなたがどこにいようとも、悟りはそこにある」とも言っています。では、それをどのようにすれば経験できるのでしょうか?

 鈴木老師が言い続けたただ一つのこと、それは「只管打坐を行じる」ということでした。只管打坐は英語ではたいてい“just sitting”(ただ坐る)と訳されていますが、鈴木老師は「時の一つ一つの瞬間に生きなさい」、「息を吐き切りなさい」といったさまざまな表現をしています。それは、その気になれば際限なく説明することができるけれども、そうしたところで何の説明をしたことにもならないような表現の一つです。そしてあなたがもし立ち止まって「これ」こそが只管打座ではないかと思ったなら、それはおそらく只管打座ではないでしょう。

 (略)

 「いかなるものにも固執してはいけない。たとえそれが真理であっても、だ」と鈴木老師は言いました。「これがあなたにとって最後の瞬間であるかのように修行するなら、あらゆるものから自由になるだろう」。しかし、われわれは遅かれ早かれ、把握するものや集中するもの、それを相手にして何かをするものを探しまわりはじめます。そうして物の世界ーー対象としてあれこれ取り扱ったりあれこれ気を揉んだりする何かーーが再び現れるのです。

 (略)

 われわれは、悟りを修行する、あるいは修行を悟るための無数の日常的機会とともに、途方もない人生を生きている途方もない人間なのです。そして「最も重要なこと」を忘れないようにしましょう。「最も重要なこと」というのは鈴木老師がしばしば使われたフレーズです。われわれは何がそのフレーズの後に来るのか決して事前にはわかりませんでしたから、私たちの注意はそこにひきつけられ、みんな姿勢を正して注目せざるを得なかったのです。今私の心に浮かんでくるのは「最も重要なことはーー、物に欺かれないで自分の人生を楽しむことだ」という鈴木老師の言葉です。

by 寿山海寧(エドワード・エスプ・ブラウン)





【補記その2】

「われわれは大地のほうを強調します。」という本文の引用文を読んで、鈴木大拙さんの文章を思い出しました。ウィキペディアによれば、欧米では 鈴木俊隆さんと鈴木大拙さんをあわせて「二人の鈴木」と呼んでいるそうです。

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