デング熱の報道に接しながら、感染場所が東京のど真ん中であることに ずっと違和感を覚えています。
鳥インフルエンザやエボラ熱やウエストナイル熱…
次々に“発症”するウイルス感染。
ウェブで検索すると その違和感を補強してくれる情報はありますし、医療ビジネスのしたたかさ(を通り越した たちの悪さ)を記す方たちも少なからずいらっしゃいます。
事実はいずれ明らかになる 明らかになってほしい と思いながら過ごしている日々、宅配野菜に同梱されていたニュースレターに 下記のような文章が載っていました[*「つづきはこちら」以下をご参照下さい]。私も著者と同じ神奈川県民ですが そのようなことが進行しているとは まったく知りませんでした。
思考停止がもたらす“惨状”と 現在の社会構造(=デザイン)の醜悪さについて、考えさせられます。
「強制」がもたらすのは 思考停止です。
それは 人の創造性や可能性を潰し 生命力を奪うことへつながっていきます。
いのちを中心に据えた いのちを育むクニづくり。
そのためは 狭い範囲での「安全性」や「安心」を超え、いのちというものを より広く トータルに捉える必要があります。そして ヒトがヒトたるゆえんである(また 意識というものの主要な特性である)「選択」が確保される必要があります。その選択も 「納得」したものであることが 大切です。
ヒトという生き物の在りようを知れば知るほど、他者と関わり 他者とつくりあげていくことの希望をかんじます。また 様々な経験から学んでいく素晴らしさと それを担保する(時に急かしたくなるほどの)泰然としたペースの奥深さをかんじます。その在りように 強制という(急いて一色ですべてを塗りつぶしてしまうような)言葉は あまりにも不似合いではないでしょうか。
納得しながら選択し創造する…という在り方は いわゆる“民主主義”のそれと同じです。民主主義というものの本質は いのちのありように寄り添ったものなのかもしれません。その場合、多数決の原理によらない 和解に近い“全員一致”の民主主義のほうが いのちの本質により近いように思われます。
昨日アップした記事のタイトルは「アジール」でした。
アジールとは 強制のない自由な空間。
それは “民主主義”を育む空間とも言えます。
その自由とは みずからとおのずからが調和したところに起因する自主的ないとなみ であり、自主主義とでも表現したい“民主主義”というコトバを介して、アジールもまた いのちとつながっていきます。
いのちは そしてまた いのちを育む社会は、どうやら 自主や自由といった在りようと 密接につながっているようです。
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*著者の大橋崇さん(ナチュラル・ハーモニー所属)の了承を得て ここに全文を掲載させていただきます。文中の「ハーモニック・トラスト」とは ナチュラルハーモニーが提供する 会員制の自然栽培野菜宅配サービスの名称です。
「予防接種について」
私は神奈川県在住なのですが、この3月より、県のワクチン行政に反対する市民運動に参加しています。行政交渉の場にも何度か出席してきました。
ワクチンについては、これまでも不要なものと考えておりましたので、ふたりの子どもにも接種はさせていませんが、いわゆる反対運動のようなことはしてきませんでした。なぜならば、接種するかどうかの判断・選択は個人に委ねられており、強制されるものではなかったからです。
ところがここへきて、神奈川県において予防接種の義務化の動きがみられるようになってきました。つまり選択の自由がなくなる可能性がでてきたのです。これは黙認するわけにはいきませんので、ひとりの親としてはじめて市民運動なるものにも参加することにしたのです。
神奈川県は、現時点においても予防接種が積極的に推奨されている自治体のひとつです。実際に、国に先んじて未認可のワクチンを導入しようという動きがあり、厚生労働省から待ったがかかるということもありました。
ハーモニック・トラスト会員のみなさまの中にも予防接種やワクチンというものについて否定的または不安を感じている方も多いと思います。神奈川県での動きはいつか全国的に広がるのではないかとも思うので、今回の記事が、みなさまのお役に立てば幸いです。
冒頭で申し上げたとおり、我が家はふたりの子どもがおりますが、「健康は注射からもたらされるものではない」と考えておりますので、一度も接種させておりません。
接種するか否かの判断は人それぞれの考え方がありますし、法律でもそのように定められています。「定期接種」また「法令接種」が“義務”と思われている方がいらっしゃいますが、そうではありません。あくまで個人の判断によるものであり、接種しないという選択も当然できますし、接種しないからといって罰則はありません。国も「接種をしないことで不利益を被るようなことがあってはならない」としています。ただ、多くの方々が義務と思ってしまっているのも無理のないことで、私がこの数ヶ月間で接した行政担当者もみな「努力義務」という言葉を使います。法的に義務でないものを、あたかも義務であるかのように思わせる意図的な表現に思えてなりません。
神奈川県においては、この「努力義務」をまさに「義務」とする動きがあるのです。いままでのように「うちは打たせません」というのが法的に通用しなくなる可能性があるのです。
重篤な副反応被害を出し続け、昨年6月14日、ついに国も積極的勧奨の中止という判断をした「子宮頸がんワクチン」も、神奈川県内では、民間企業や個人経営のお店などとタイアップして“クーポン”を発行し接種を促すなど、かなり積極的に推奨をしてきました。
さらには、「日本はワクチン後進国」「ワクチンギャップを埋めるべき」といったスローガンを掲げ、アメリカに追従して義務化を目指しています。アメリカにはワクチンを強力に推進するACIP(エイシップ。『予防接種実施に関する諮問委員会』)という組織があり、ACIPの提言がそのまま政府のワクチン行政に反映されています。神奈川県は、これを真似て「神奈川県予防接種研究会」というものをすでに設立しています。今後、政府に対し義務接種化を提言していくことが目的とみられています。
私がびっくりしたのは、県の予防接種行政について検討する会議の議事録の中に、「サッカー場や野球場でも予防接種が打てるようにしてはどうか?」「駅の改札を利用して接種率を上げることはできないか?」ということが真面目に話しあわれていたことです。
神奈川県にはJリーグのチームやプロ野球のチームがあり、子どもたちも多く観戦に訪れます。子どもたちの夢と健康を育む場で、有効性がないばかりか、副反応被害があるワクチンの接種を勧めようというのは、あまりにもワクチンがどういったものであるかの知識が不足しているといわざるを得ません。
このような状況の中、今年の3月に、神奈川県在住の主婦の方が発起人となり、県のワクチン行政に反対する会を立ち上げられました。たまたま私もその方と面識がありましたのでお声掛けいただき、ともに活動させていただいております。
主な活動としては、勉強会と行政交渉です。これまでも神奈川県庁はもとより、横浜市健康安全課・厚生労働省感染症対策担当課などに意見を届けてきました。うれしいことに、このメンバーの中にはみなさまと同じハーモニック・トラスト会員の方がいらっしゃいました。
行政の担当者は上部からの指示を遂行することが仕事ですので、予防接種に使われるワクチンの成分や副反応、また、なぜこれほどたくさんの種類のワクチンを子どもたちに打たせる制度になっているのかは知りませんでした。
現在、国のワクチン行政の指針となっているものに、平成19年3月に厚生労働省が主体となって策定した「ワクチン産業ビジョン」という50ページほどの資料があります。しかし、行政担当者でこれを読んだことがあるという方はいませんでした。存在すら知らないという方もいました。“産業”の二文字に激しく違和感を覚えるのは私だけではないと思います。産業という言葉以外にも、「収益」「採算性」「ビジネス」「競争」「成長」「生産コスト」といった子どもたちの健康とはどこかかけ離れた言葉が並んでいます。
資料の中の一節をご紹介します。
「これまでその売り上げの大部分を占めてきた小児市場が、少子高齢化の進展により縮小しつつあり(後略)」
“市場”という認識なのですね。
これを策定した方々は、当然のことながらワクチンは有効であり、副反応はあるものの感染症の蔓延による社会的な被害を考えればしかたのないもの、だからワクチン継続的に生産できるように国も後押しをしてあげなければならない、という考えです。
ワクチンが有効なものなら成り立つ考えかもしれませんが、事実はそうではありませんし、厚生労働省の役人がみなワクチンは安全で有効なものだ!と考えているわけでもあありません。
現に、厚生労働省の担当課の方とインフルエンザワクチンの有効性と副反応について話をした際、「ところであなたはワクチンを打っているのですか?」と尋ねたところ、「いいえ、私は打っていません。ちなみにクスリも飲みません」とのあまりにも率直な返答に驚いたものです。
自分が打たないものを仕事とはいえ人に勧めるとはいかがなものかと思うのですが、こうしたことは予防接種に限ったことではありません。農家が市場へ出荷する野菜にはこれでもかというほど農薬を使うのに、自分や家族が食べる自家用の野菜は無農薬で育てているという話はよく耳にします。
これは個人の意識を変えなければならないという点はもちろんありますが、そうせざるを得ない「構造」が農業界にも医療業界にもあるということを表しているのだと思います。そしてその構造は、現場の農家や役人の力ではどうにもならないほど巨大なものなのだということも感じさせられました。やはり、消費者ひとりひとり、市民の方ひとりひとりが声を上げていかなければならないのだと思います。
神奈川県で起きている動きは、おそらく他県にも及ぶと思われます。一筋縄ではいかないかもしれません。でも、ひとりひとりの力は微力かもしれませんが、無力ではありません。現に、千葉県野田市のように政府の決定よりも市民の安全を優先して「子宮頸がんワクチン」の接種を見合わせるという判断をした自治体もあります。
いずれにしましても、国任せ、人任せでは家族の健康は守れないというのが現実ですので、私たち親もしっかりと情報を集め、適切な判断ができるようにならなければいけないということを感じさせられる日々です。
最後になりますが、私はワクチンが安全性や有効性に問題があるから接種しないのではありません。仮に、公正な研究により安全性や有効性が確認され、実際に感染症にかからなくなるとしても打ちませんし子どもにも打たせません。なぜならば、子どもは感染症にかかることで自己免疫を高め、生きていく上での体力・生命力を強めていると考えるからです。日々食している自然栽培の姿や生き方を改めて考えてみると、植物を通してこのことを教えてくれている気がしました。