「議会と首長」と題した記事の中で、失敗できることや失敗を想定することは ものごとのデザインに不可欠ではないか、と書きました。直近の2つの記事の中で触れた「ピア・トゥー・ピア」という概念は それにふさわしいもののように思えます。
中心がないモノカタは、それを構成するものが いくつか壊れたり機能しなくても 全体としてのはたらきは それほど損なわれることがありません。つまり いくつか失敗があっても 全体にダメージがそれほど及ばない ということです。そういう環境においては、失敗する恐怖から かなり自由になれるのではないでしょうか。
以前 ピア・トゥー・ピア的な発想に基づいた幾何学の模型をつくったことがあるのですが、その球形を構成しているパーツのほぼ半分が取り除かれても 残り半分の構造は維持されたままでした。その幾何学模型を構築した方は、建造物の重力を地面に担わせてきたこれまでの方法は 過去のもの、と認識されていたようです。
「圧縮力」と「張力」という言葉を その方は使います。
古い日本の建造物の どっしりした大黒柱は 人の心に訴えるものがありますが、大黒柱によって支えられた建物は 大黒柱を失えば その構造を保つことは難しいでしょう。
なにかひとつに依拠する という発想が 終わりを迎える時期なのかもしれません。
そしてそれは、ひとりひとりが のびのびと 自由にいき、そういう個人によって 動的に安定している社会がうまれる 時代の始まりなのかもしれません。
【追記】
「集まルーズ」というコトバ
「集ま(る)」は圧縮力 「ルーズ」は張力
と 捉えることもできそうです