私の住む市では 近々 市議選が行われます。
告示の少し前から 選挙を意識した駅頭での活動がちらほら始まり、私などはそれによって選挙が近いことを知ったものです。
告示前から現在の選挙期間中を含め いくつかのビラを受け取りましたが、その中に一枚 違和感を覚えるものがありました。
それは確か 告示前に最寄り駅で配られていたもの。
一面には 次の市議選に出ることが明らかな数人の立候補者の紹介が載っており、裏には 現職市長の推薦の言葉が記されていました。
現在の地方自治の制度では 首長と議会を選挙民が直接選ぶ「二元代表制」を採用しています。革新的な首長が選ばれ 様々な改革を行なおうとしても 旧態然とした議会が反対して実現できない、ということも起こったりしますが、基本的には 行政の長である首長を 議会がチェックする「チェック・アンド・バランス」のシステムとして機能することを目指した制度です。とするならば、市長が 特定の立候補者を推薦し 議員になることを望むのは、チェックされる側がチェックする側に仲間を送る ということですから、地方自治のシステムの精神/在り方に反する のではないでしょうか。
ウェブで調べたところでは 「二元代表制は、沿革としてはイギリスの君主制、一元代表制において議員が首長を選出する仕組の中で腐敗が生じ、アメリカにおいて「行政と政治の分断」が議論される中で生まれた制度」とのこと。しかし 日本の地方自治のそれは、アメリカで生まれたものよりも 首長の権限が強く、“分立し独立した権力がチェックし合う機能”が働かない状況にあるようです。
その半生を 市民の立場から地方自治の在り方を考え変えていくことに注いできたある方は、「時間をかける」ことの大切さを説いておられました。“革新的な首長と 保守的な議会”という 分かりやすい図式を 私たちはつい好み、その分かりやすい図式の中で物事を理解し片付けようとします。しかし 一気に変える ということは、事前に相当な調えがなければ 大きくダメージを受ける人たちをつくりだすことになりますし、変えていく方向性ややり方が 適当でなかった場合に 修正する余裕というものがありません。「失敗できる」こと 「失敗を想定する」ことは、ものごとをデザインしたり ものごとを進めていく際に 不可欠な視点だと思うのです。
そこに暮らす人たちが 納得しながら ひとつ ひとつ 作り上げ 調え 変えていくのが 「自治」というものではないでしょうか。
決して 誰かの思い通りにする ことではなく。
決して 誰かの思い通りにしやすくする環境を つくることでもなく。
おおやけ の ことがらについて
どうやって考え 決めていくのがよいのか
決めたことを どういうカタチで 現実化していくのがよいのか
地方自治のはたらきを活性化するために いま必要なのは、革新的な首長を選ぶことではなく、自治の在り方 自治のシステム 自治のデザインを見直すことなのかもしれません。