Earth Design Project

ひとりひとりから始まる あらたな ヒト/HITO の ものかたり
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そのさきへ


 この7月に入り 脱原発を求める多くの人々が自らの声を届けるために行動している現実を 大手メディアも報道するようになってきました。7月16日(日)に代々木公園で行われた集まりには 主催者発表では17万人が足を運んだようです。脱原発の動きに乗ってセクトによる勧誘が活発化している という話も耳にしてきましたが、2度ほど抗議の場に身を置いた者の印象としては そういう組織の人たちももちろんいますが これまでのその種の活動では見られなかったであろう ごく普通の人たちが 一個人として足を運んでいる様子がうかがえました。それは 日本のひとの中である変化が起こっていることの 現われなのだと思います。
 そのような動きを チュニジアのジャスミン革命になぞらえて 紫陽花革命と呼ぶ人たちもいます。
 ただ、ジャスミン革命を端緒に中東で展開したアラブの春と呼ばれる“民主化運動”とされる一連の動きに 多くの人が信じたがっている美しい物語とは違う側面を観ている私には、手ばなしでその命名を支持する気持ちにはなれません。どんな場合もそうですが 集まったエネルギーを自分たちの利のために使おうとするものは 存在しており、そのために “正義”をまとって事を起こすものたちも いるのです。(これまでの印象では 官邸前での抗議行動を呼びかけている人たちは そのあやうさを理解しておられるようで、落ち着いた対応をされているように見えます。)

 官邸前で また 幕張の会場で また 映像の中で 原発反対を訴える声を聞きながら、私の脳裏には ある一人の男性の姿が浮かんでいました。

 1968年。
 フランスでは五月革命が起こり 日本でも学生運動がピークを迎えていたそのとき、運動の最中に身を投じ 反帝全学連の委員長に就いていた故・藤本敏夫さんは 大きな挫折感を抱いていたと言います。

   学生運動の燃えさかった六八年、
   人びとが最も大きな幻想を、この動きの中に求めていたであろうそのころ、
   何度も彼は、心の内の大きな喪失感について語りました。
   いくつもの大きな行動の先頭に立ち、
   体に傷を負うことも、警察につかまることも、決していとわなかった彼が、
   実は、この行動のかなたに光が見えず、
   何かを産もうとする可能性を秘めた混沌を前に、
   何ひとつ明示できずにいる自分自身に、
   どれほどか苦悩していただろうことを、今もありありと感じることができます。

   <『農的幸福論』(加藤登紀子・編)より P.1~P.2>


 その後の実際の挫折を経て藤本さんが辿り着いた「農」と いま原発を巡って多くの人の声が求めているものは その根底において「いのち」というものによってつながっています。


 原子力というものが 防衛政策と不可分であること、ウラン利権や石油利権など 地下資源の利権争いや覇権争いの構図に組み込まれていることなど を考えれば、それは別のエネルギー源で需要を賄えるのかというようなエネルギーの技術的な問題だけではなく 防衛や外交をも含めた より大きな視野と枠組みの中で全体像を描かない限り 本質的な問題解決に向かうことは難しいでしょう。それを更に観てゆくならば 金融や通貨の問題へと向かい、経済システムをも含んだ 文明全体の見直しへとつながってゆきます。

 私が、脱原発を求める人々の率直な声の中で感じたのは、これらの声を受けとめ 地球的な視野に立って包括的に未来を描こうとしている人が どれだけいるのだろうか、ということでした。ここに集まっている膨大なエネルギーを 建設的に使う道すじを どれだけの人が創ろうとしているのだろうか、ということでした。
 集まったエネルギーは 流れる先を求めます。
 流れ行く先が見えないまま エネルギーだけが集まれば それは単なる破壊となり そのあとには殺伐とした混沌が残されるだけです。
 創造のためには破壊が必要 ということを耳にすることがありますが、破壊が先にありきではなく、創造するものがあり そのためのエネルギー源として 古いものが解体されていくのが いのちというものの本来の姿ではないだろうかと 私は考えます。具体的に言うなら 路頭に迷う人や失業者を出すことなく あらたな社会へ移行していくことが望ましいのです。


 というわけで、私なりに 未来を創造する一助たらんと 思考しているつもりなのですが、なかなか 明確な形となりません。

 お金というものを 交換価値ではなく 何かを育む贈りものとして 流通させるには どういうカタチがありえるだろうか…

 国の運営資金を 税金という国が徴収するものから 会費的な 構成員としての国民が自主的に支払うものへ 変えていくにはどうすればいいだろうか…

 自分たちの国をつくりはぐくむために発行する通貨は その国の政策決定機関が その国の人々のはたらきと創造性を担保として発行し、生きるためにお金を稼ぐ必要のないような 衣食住という生存の基盤を整えるには どんな仕組みがよいのだろうか…

 …などなど。

 国からお金をもらう補助金のようなあり方では 人の生きる気力を奪ってしまう、という向きもあるでしょうが、それは お金というものが生存のためのものに留まっている というか 留められているからで、生きるためのお金を稼ぐ必要がなくなったときに その人が本来持っているものがおのずから出てくるのが 人というものだと認識している私は、生存に安心した人が その人らしく生きることを励まし支えるような 社会のデザインを考えればよいのではないかと思っています。
 たまたま昨日目にした夕刊の書評欄に、「脳は挑戦を受けることで無限の可能性が開けてくるが、その力を発揮するためには一つの条件があり それは 脳を取り巻く社会に「自由」があること」の旨が記されていました。本の詳細は知りませんが 直観として私もその通りだと思います。何かに制限され 何かに怯え 不安の中にある脳では(*とりわけ 生存への不安がある中では) ひと本来の創造力が発揮するわけもありません。

 出てきたアイデアの至らないところを探して「だから 駄目だ」と言うのではなく、目指す方向を共有し そのベクトルにより添うデザインを考えていけばいいだけ ではないでしょうか。実現したいことがあるのなら そのためにアイデアを出し合い 育み、人々の創造のエネルギーが “おのづから自然とそうなる”ものへと 社会のデザイン/流れ を 進化させていけばよいのです。


 「いのち」を何かと引き換えにしなければならないような社会は その社会のデザイン自体がおかしいのです。「いのち」を守ることが 他の大切なことと対立してしまうようなことがあるとしたら、そのような構造自体がおかしいのです。生きるために 何かを犠牲にしなければならないのであれば、そのような社会のシステムがおかしいのです。
 私たちは随分と長い間 そんな「おかしさ」を受け容れて生きてきました。
 変えられない と思う以前に 変えよう とすら思わないほどに。

 おかしいことを おかしい と言うことはとても大切です。
 しかし そこで留まっていては これまでの繰り返し となります。
 未熟でもいい 稚拙でもいい
 感情ではなく(恨みつらみではなく 怒りではなく)
 理にかなった 本当の意味で合理的に
 こうありたい社会 を描いていくことを 始めることが
 今の私たちに必要なのだと思います。

 そして
 本当に何かを変えようと思えば
 おのづから
 物ごとを広い視野に立って包括的に捉えざるを得なくなります。


 わたしたちののぞむものは
 のぞむだけでは
 えられなくて
 のぞむのを
 かたちにするための
 ぐたいてきな はたらきと
 そのための とき/じかん が
 ひつようなのです


 そんな壮大なことなんて無理 と思うかもしれませんが、無理かどうかは やってみなければわかりませんし やってみてから思えばいいことです。難しそうに見えることも きっと 気づいてみれば とてもシンプルな原理で対応できるような 予感もあります。
 素晴らしい発見が エレガントな美しい数式で記されるように。


 言うは易し
 でも
 やらない/やれない理由は ありません



***
 

<「私たちの望むものは」(詞:岡林信康)より>


私たちの望むものは
生きる苦しみではなく
私たちの望むものは
生きる悦びなのだ

私たちの望むものは
社会のための私ではなく
私たちの望むものは
私たちのための社会なのだ

私たちの望むものは
あなたを殺すことではなく
私たちの望むものは
あなたと生きることなのだ

今ある不幸せに とどまってはならない
まだ見ぬ幸せに
いま とびたつのだ


私たちの望むものは
くりかえすことではなく
私たちの望むものは
たえず 変わってゆくことなのだ

私たちの望むものは
決して 私たちではなく
私たちの望むものは
私で ありつづけることなのだ

今ある不幸せに とどまってはならない
まだ見ぬ幸せに
いま とびたつのだ


私たちの望むものは
私たちの望むものは
私たちの望むものは



 

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