パレスチナの旅のレポートの中にも書いてありますが、
イスラエルとパレスチナを訪れて 強く感じたことの一つが
人間の知性が試されている
ということでした。
それに加えて
その旅以降 ことあるごとに思い起こすのが
もったいない
という感覚です。
パレスチナ領内にイスラエルが一方的に建設した分離壁。
その行為に対する抗議として 毎週金曜日にデモを行っている地域があります。
声をあげ続けなければ 受け容れたことにされ
イスラエル政府の暴挙が進んでしまう、
という危機感がその基にはあります。
ひとびとは 毎週 集まって分離壁へ向かい
壁を警備しているイスラエル軍の兵士へ訴え、
兵士たちは様子を見ながら
催涙弾を撃つ…
場合によっては
水平に撃たれた催涙弾が 死傷者を生むこともあり、
また 兵士たちが壁の向こうから パレスチナ領土内へ入ってきて
デモの参加者を逮捕することもあります。
あるいは 夜中にデモの中心人物の家に踏み込んで逮捕し 法的な手続きもないまま 身柄を一方的に拘束し続けることも 少なくないようです。
それら一連の出来事が
私の眼には ある種の行事化されたものとして映り、
その「現実」が
それに関わるすべての人たちの〜イスラエルの兵士も パレスチナの人たちも〜
本来なら発揮されるべき すばらしい能力やハタラキの機会を潰している ように思えて仕方ありませんでした。
もったいない
あまりにも もったいない
のです。
催涙弾を撃ち込んだ男性兵士は うつくしい絵を描くことができるかもしれない
壁の向こうへ石を投げている少年は 自然の神秘をとく鍵を持っているかもしれない
検問所で 指示通りの言葉を言わさせれている女性兵士は アインシュタインを継ぐ科学者になるかもしれない
いつ開くとも分からない検問所の 閉ざされた扉の前で 待ち続けている女性は 大地を蘇らせる能力を持ってるかもしれない
みんなどこかで
建設的なことではないことを知りつつ
みんなどこかで
やらされている ことを感じつつ
ひとりひとりに与えられた素晴らしい宝を 日々無駄にしているように思えて仕方ありませんでした。
それは日本でも
いえ 世界中のあらゆる場所で起こっていることに思えて仕方ないのです。
パレスチナから帰国して以来
もったいない
と感じることばかりです。
街頭で『Big Issue』を掲げている人のその手は すばらしい建物を生み出すかもしれない
でっちあげの調書をしたためた役人は 人を育む 大きな大きな愛をもっているかもしれない
お金のためにやりたくもないことをしているその人は 人の魂に届く すきとおった音を奏でることができるかもしれない
ALSで寝たきりの彼の人は 新たな社会のひな形をつくりあげるかもしれない
支配しようとする人たちも それに異を唱える人たちも
あらゆる場所で対立しているように見える それぞれが
みんな みんな
そんなことのために 生まれてきたのではないのに… と。
70億人がもつ70億個の宝を
わたしたちは
日々 ゴミ箱へ棄てているように思えてならないのです。
もったいない
あまりにも もったいなさすぎる
いまの 社会
そんな思いを抱かなくてすむ
世の中をつくるために 何ができるだろうか…
と
自問しています。