6月3日のブログで触れたパレスチナでのツアーは、彼の地の食材を輸入している会社の代表が 現地をよく知る一人として企画し 同行者を募集した旅でした。帰国後 今後「パレスチナ縁農ツアー」に興味を持った人の参考になるような冊子をつくるためにとオファーされて提出した文章を、その冊子がまだ完成してないこともあり また 完成していても公にすることを歓迎しますとのお返事を受け、参考までに ここに掲載しておきます。
<体験は意識を変える、だろう〜パレスチナ・ツアーに参加して〜>
1. はじまりは突然に 旅というのは 実際に旅する前から始まっているものですが、今回の旅の始まりというものがあるとすれば それはたぶん 東京都写真美術館で開かれたセバスチャン・サルガドさんの写真展「AFRICA」(2009.10.24~12.13)になるでしょうか。
しかし パレスチナから戻った今でも、特にパレスチナに関心があったわけでも 何か活動に関わっていたわけでもない私が どうしてこのツアーに参加したのか、不思議に思う気持ちがまだ残っています。もちろん まったく関心がなかったといえば嘘になりますが、私にとってパレスチナは地理的にも心理的も遠い場所であり また できるだけ先送りにしたい重いテーマの一つだったのです。いつか 死ぬまでには行くだろうという気持ちはあったものの まさかこんなに早く行くことになるとは 夢にも思っていませんでした。
サルガドさんの写真展も 特に思い入れがあったわけではありません。彼の写真は あまりに美しく撮りすぎているような気がして 抵抗感すら覚えていたのですが、なんとなく足が向き その場で手にしたカタログの解説の中に エドワード・サイードさんの名があったのでした。なぜかその名前が意識に引っかかり、その後しばらく 彼の本を読むこととなりました。そして 広河隆一さんの映画「ナクバ」でほんの少し近くなっていたパレスチナが 更に私に近づいてきたのです。そうした頃に セーブ・ザ・オリーブでクレミザンのワインの美味しさを知り また パレスチナ・ツアーを企画していることを知りました。でも その頃もまだ 直近のツアーに参加することなど考えておらず、いつか行くときはお世話になるかもしれないな、という程度。それが 唐突に、自分で決めたのにそう言うのも変なのだけれど でも本当に唐突に、降って沸いたように 6月の末にパレスチナ・ツアーへの参加を決めたのです<*ここ数年の旅は、こういうパターンが多いので 自分としては驚いてはいないのですが。笑>。
とにかく 現地に身を置いてみよう、現地をこの目で見てみよう と。
これまでの私は ツアーという旅のカタチをほとんど利用してきませんでしたが、現地を知っている人と行動する方が濃密な体験ができるでしょうし タイベ村のオクトーバーフェスティバルやオリーブの収穫という楽しそうなイベントも入っているし パレスチナの農業を見ることができるということもあって、ツアー参加に躊躇はありませんでした。でも もしかしたら、「農」やそれに連なる「食」というファクターがなければ ツアーにそれほど魅力を感じなかったかもしれません。私の長年の関心事の一つが「農」であったから、乾いた土地の農と農作物 そしてそれに携わる人たちに直接触れてみたいという気持ちが 強かったのだと思います。あと それに加えるとすれば、聖書に関心を持っていた時期でもあり 3つの一神教の歴史が交錯する場所に行ってみたいというのもありました。
2. 出発までのドキドキ そんなパレスチナ超初心者の私でしたから 出発までの約3ヶ月は にわか知識を詰め込むのに費やされました。事前勉強に読んだものを 覚えているものだけでも記しておきます。
『聖書』 『まんが パレスチナ問題』(山井教雄・著)
『ユダヤ国家のパレスチナ人』(デイヴィッド・グロスマン著)
『イラン・パペ、パレスチナを語る 「民族浄化」から「橋渡しのナラティヴ」へ』(語り=イラン・パペ)
『私家版・ユダヤ文化論』(内田樹・著)
『パレスチナから報告します 占領地の住民となって』(アミラ・ハス著)
『ユダヤ人の起源 歴史はどのように創作されたのか』(ジュロモー・サンド著)
『地球の歩き方 イスラエル』
『Lonely Planet Israel & the Palestinian Territories』
聖書は 無謀にも完全読破を目指したのですが 遅読の私は途中で断念しました。ガイドブックは 英語に抵抗がなければ ロンリープラネットが断然お勧めです。情報量が圧倒的に違います。
一緒に参加した“連れ合い”がエルサレムで英語版を入手し 帰国して日本語版を見つけた『パレスチナ』(ジョー・サッコ著)は、サイードさんが冒頭に文章を寄せたコミック本。帰国して読むと 現地の風景や人々の話が甦り そこに描かれている世界がリアリティを持って迫ってきます。行く前に読めば 体験はまた違ったものになることでしょう。
さて、旅のスケジュールが送られてきて 訪問地のビリン村とニリン村をネットで検索すると 出てくるのはデモの様子や その負傷者・・・。事前に、「活動家としてデモに参加するのではなく そういう現実があるのだから それを見る、というスタンス」であること、「望まなければデモに参加しなくてもいい」と聞いていたものの、脳はどんどん勝手に好ましくないストーリーを展開していきます。
参加しなくてもいいと言われても その場の雰囲気で参加せざる負えない状況に追いこまれることもあるよね・・・。
イスラエル軍は常識が通じなさそうだから 何が起きてもおかしくないし・・・。
催涙弾、水平打ちされたらどうしよう・・・。まだ死にたくないよなぁ・・・。
最終的には、危険を感じたら断固として参加しない 途中からでも引き返す と決心して、心は落ち着きを取り戻していったのでした(笑)。もし 私のようにパレスチナとの接点がなかった人が こういう「危険な映像」を見る場合は、出発までに心が鎮められるぐらいの時間の余裕を持たれることを お勧めします。
3. パレスチナの“ち” で 実際 デモはどうだったのか・・・。
2カ所とも毎週金曜日にデモをしている地域なので 現地の人はどういう状況が危険かを知っていて ポイントを私たちに教えてくれました。催涙ガスは吸いましたが それは事前に織り込み済みのこと(でも もう吸いたくありませんが・・・)。ただ こればかりは 同じ状況というものはないので、参加される場合は 最終的に自分の責任において判断する という原則を忘れないで下さい。
デモの体験はなかなか強烈でしたが 一番心に残っているのは 現地の人たちの話してくれたことであり 彼ら/彼女ら一人一人の存在です。本で読み 映像で見て 頭では知っていたことが、「現実に起こっている、本当のこと」なのだと 身をもって実感できました。
分離壁がつくられている現実。それによって分断される土地と人々の生活。突然の不当な逮捕。焼き払われたオリーブ畑。放火されたモスクと 焼けこげたコーラン。パレスチナ政府の腐敗した側面 それによって抑圧を受けている人々。パレスチナ人と共に歩もうとするユダヤ教徒たち。推定樹齢千年以上のオリーブの風格と存在感。こころづくしの手料理。オリーブと共にある暮らし。難民キャンプの暮らし。デモの前の祈り。“夫への注文”についておしゃべりに花が咲く女性たち。外出禁止令下でも勉強をするために危険を犯して大学へ行ったことを話してくれた青年。オリーブたこやきの出店に 興味深そうに来てくれた人たち。聖地を案内してくれたキリスト教徒。「ワインはイエスの血」であることをリアリティだと語った神父。イスラエル側に土地を取られないために 分離壁に隣接した土地を開墾している人たち。一人芝居の役者。人形遣いの くりっとした真っすぐな目。シナゴーグと 教会と モスクが混在し、アザーンと 教会の鐘が鳴り響く街を 足早に歩いてゆくユダヤ教徒。尊大な あるいは感情と思考を停止した態度。憤りの表情。怯えた目。やるせない思い。おどけた顔。弾ける笑顔。カバブの煙。アラビアン・コーヒーのほろ苦さ。市場の雑踏。野で草を食む羊やロバや馬。家々の庭を飾るブーゲンビリアの花の鮮やかさ。風が運んでくるジャスミンの香り。収穫の後のオリーブ畑での食事。乾いた大地の豊かさ。そして そんな人間の営みが行われている大地を覆う、あおい あおい空-----。
私が見て 聞いて 感じたこと、その体験が すべてではないけれど、また それが正しいわけでもないけれど、それでも その場に行かなければわからないことは たくさんあります。今回の旅はいまだ未消化で 何の統合もされていないのですが、私が旅の中で強く感じたことの一つは 人間の知性が試されている、ということでした。
私が体験したパレスチナは 理不尽な状況に置かれた社会でした。筋が通らない 筋が通せない社会でした。そんな中で 諦めず 負けないために闘っている人たちと出会いました。抑圧されるものは いつも不利な立場にあります。抑圧する側と同じ土俵に立っている限りは 決して解決しないであろうから・・・。負けることなく 状況を変えていくには、抑圧する側よりも 優れた 忍耐力と観察力と認識力と思考力と想像力と精神性が求められるのだと、切実に感じました。それは 彼ら/彼女らを支援する側にも言えることだと思います。
そして その闘いは、イスラエル対パレスチナではない あるいは、ユダヤ教対イスラム教ではない、ということも。いま現在起こっているのは、支配や抑圧を正当化する人たちと 他者と等しく共存しようとする人たちの 闘いなのだということを。既存のカテゴリーで 物事を捉える危険性を知りました。
それに関連して とても印象に残っている場面があります。それは、シンディアナ・オブ・ガリレーという イスラエルとパレスチナの女性たちが共同で運営しているフェア・トレードのグループを訪ねたときのことでした。私たちから「みんなの中で イスラエルとパレスチナの政治的な問題について議論することはあるのですか」という問いが出た時、対応してくれていた女性はこう答えました。「パレスチナへの支援船がイスラエル軍の攻撃を受けた事件がありましたが その船にはイスラエル人もいましたし ホロコーストの体験者もいました。そして その事件が起こったそのとき 私たちは共にここにいました。イスラエルからの訪問者も来ていました。私はそのことが大切だと思うのです」。彼女の あえて的を外したであろうその答えに、満足できない人もいたかもしれません。でも私には 彼女の答えが 問題の解決へ向けた一つのベクトルを示しているようにも思えたのです。亀裂や対立や分断している部分に ことさら眼を向けるのではなく、それらを了解しつつも包含し 共に在り 共に自らの痛みとして乗りこえようとする ありかた・・・。ステレオタイプ的な捉え方かもしれませんが それはとても女性的なアプローチのように思えたのです。
支配する側は 分断や対立をつくり出し あるいは 煽り 歓迎します(そして その他者を支配しようとする意識は 自分の中にもあるものです。また 永遠の被害者としての意識も)。
このときのことを思い出し 考える度に、「わたしたちに反対しない者は わたしたちの味方である。」という福音書の中のイエスの言葉が浮かぶのでした。
4. 旅に関する個人的なアドバイス【あって良かったもの】
傘(晴雨兼用ならベスト)・・・帽子も持っていったのですが 帽子では照りつける日差しから守れる範囲は狭いので 傘が活躍しました。雨期に入る時期だったので エルサレムでは少し雨にもあいました。
トラベルシーツ・・・布団をかけると暑い場合や 寝具に抵抗感がある場合、これがあると快適です。女性なら 大判のストールでも代用できますね。
アウトドア用の下着・服類・・・連泊もしましたが 1泊で移動することもあり、その場合 洗濯してもすぐに乾いて便利です。
目薬・サングラス・・・日差しが強く 乾燥していて 砂埃も舞うので、毎日の目のケアに。目薬は 催涙ガスを浴びた後のケアにも(笑)。
【なくて残念だったもの】 アラビア語。ヘブライ語。記憶力。
【その他】
<宿>私と連れ合いは 先に現地入りし 最後に現地を発ったこともあり、9/30と10/10~10/12の宿は 自分たちで手配しました。後半は、スケジュール的には12日まで一緒に行動できたのですが エルサレムをもっと見たかったことと さすがに3週間近く旅をしていると(*私たちは9/23出発でした)疲れが溜まっており 一つの宿に連泊したかったこともあって、みなさんとは別行動を取りました。宿やスケジュールに関して 結構それぞれの自由がきくので、通常のツアーが苦手な人も それほど窮屈さを感じないのではないでしょうか。
ただ 行った時期が観光のハイシーズンだったので、エルサレムの宿が なかなか予約できませんでした。旧市街のホスピスの個室 という条件で探したため 難しかったのかもしれません。でも ハイシーズンに行かれる方で 事前に宿を抑えておきたい場合は、早めに予約を入れるに越したことはないと思います。
<祝日>みなさんと合流するために テルアビブからエルサレムへ移動した9/30は イスラエルの祝日で、交通手段が限られました。始発のバスが18:15発で 鉄道は終日運休。利用できる交通手段は タクシーと、セントラル・バス・ステーションから出ているシェルートでした。祝日の時期は 年によって変わるので 要注意です。
<出入国>北の国境であるシェイク・フセイン・ボーダーで、歩けば30分ほどの イスラエルとヨルダンの国境(緩衝地帯というのでしょうか・・・)を通過するのに、バスを使わなければならないと言われ 2時間近く待たされました。他の方達は30分程度の待ち時間だったようですが。アンマン経由で行かれる場合 ストレスなく&時間とお金を節約して帰国したい人は、出発前に ヨルダン大使館でマルチビザを取っておくと エルサレムからもアンマンの空港からも最も近い キングフセイン橋の国境を通過できるようです。
<料理>ベドウィン系の料理がおいしかったです♪ パスタを注文するときは 「うどん状態」(*讃岐うどん状態だったら当たりかも。笑)である可能性が高いことを心して下さい。
5. まとめ、ることはできないけれど・・・ パレスチナへ発つ直前に参加したワークショップで 講師の方から「体験は意識を変える」と言われました。どう変わるかは別にして 確かに そうだと思います。
そのワークショップから戻ってきたら 旅の間の私の身体を案じた友人から薬が届いていて、それにはこんな言葉が添えられていました。「旅は 出逢っていない自己からの招待状のようなもの」。
動機も不確かなまま 流れに乗るように旅したパレスチナでしたが、旅の間も今も 間違ったところにはいない/行っていない という妙な確信だけはあります。
行きたいときが 行き時。今回の旅が どんな私からの招待状だったのか、わかるのは もう少し先のことかもしれません。
(2010.11.11 記)