これまで幾度も繰り返されてきたシナリオ/物語が アルジェリアでも展開されました。昨年起きたリビアの米領事館襲撃事件において 逮捕された“アルカイダ系の武装組織”(*メディアの報道における呼称)に マリやアルジェリア出身者が含まれていた と報道されていたことは、今回の出来事の伏線だったのでしょうか。
中東やアフリカを舞台に起こっている出来事が 私に思い起こさせるのは 「テロとの戦いには (国と国との関係を規定した)国際法は適用されないのです」というある方の言葉です。
何が真相であれ、何が目的であれ、人の命を奪う理由にはなりません。
今回の事件の「事実」を明らかにし、現行の法律で問える罪は問い、しかしそれに留まることなく その事件が生まれた根源的な原因を解消する方向へ、植民地支配をも含めた過去を清算する方向へ 世界が向かってほしいと願います。
被害者を出してしまった日本だからこそ 真摯にその点を追求し、これまで繰り返してきた物語を終わらせるための役割を担ってほしいと願うのです。
アルジェリアの事件を知ったのとほぼ同じ頃 「中国から過去最悪の大気汚染物質が日本へ」という記事を読みました。中国や途上国の大気汚染は 私が知る限り かなり以前から指摘されており、公害問題を経験した日本は 技術協力で各国を支援できる と言われていた はずなのですが…。報道された内容が正しいのであれば 大変な問題であり早急に対策を講じて頂かなければ困ります。ただ、これまで報道されなかったものの 核実験によって汚染物質を地球に放出してきた国々もあるわけですし、原発事故によって放射線物質を世界に拡散させ いまなお収束できていない日本も 一方的に中国を非難することはできないでしょう。
これもまた アルジェリアの事件と同様に 事実は事実として指摘し 法的に対応を求められるところは求めつつ、一蓮托生の地球に生きる者同士 持てる技術と智慧を出しあって 地球規模の問題を一緒に解決していく方向へ進んでほしいと思います。
これはなにもきれいごとではなく、他者の命が犠牲になっているシステムにおいては 自分の命をも守ることができないことが 現在 誰の眼にも明らかになっているのですから。
そして 世界の人の命を守り育んでいく 真に役立つ技術と智慧は 日本にも十分用意されていると思うのです。
諍いを作り出し それを抑えるために暴力/武力を使う、そんな物語にエネルギーを注ぐよりも、どうすればそれぞれが自分の人生を生き お互いを尊重し合えるようになるかを考えることにエネルギーを注ぐ方が、苦労はしても よろこびがあると思うのです。どうすればお互いが心地よく快適に暮らしていけるだろうと考える方が、恐怖に怯え 人を疑い敵視するより、楽しいはずなのです。
ひとは そういうふうに できている、と私は観ています。
“In 10 years,There will be no more Israel”
という キッシンジャー元米国務長官の発言を どう捉えるべきでしょう
他国の未来を云々している という事実だけでも、その発言の主の傲慢さと 過去と現在のその者たちの姿を物語っていることは 明白です
ちょうど昨日
イスラエルの置かれた立場について 友人たちと語る機会がありました。
パレスチナに対して理不尽かつ許されない行為と行なっているイスラエル政府もまた
ある側面から観れば、コマとして使われている 一種の生贄と 捉えることもできます。
イスラエルを戦争に追い込もうとする勢力があり
それは
一連の中東の政変と 現在のトルコとシリアの紛争
北アフリカにおけるテロ
日中韓の 島の領有をめぐる諍い
と 分かち難くつながっている という分析もあります
全体像を理解すること
少なくとも 理解しようとすること
それを抜きにしては 適切な対応はできません
中東の平和を阻む存在として置かれたイスラエル
極東の平和を阻む場として 火種を残された日本
理解するための忍耐力と
わかりいそぐことの危険性を 私たちは 思い起こす必要があるのではないでしょうか
昨日 表参道から渋谷駅へと 気の向くままに歩いていたら、イメージフォーラムの前を通りかかりました。入り口のビラが気になり なにとはなしに眺めていたら、その中に パレスチナの映画を見つけました。
『壊された5つのカメラ』(Five Broken Cameras)
映画の舞台であるビリン村は、ちょうど2年前の今の時期に訪ねた場所のひとつです。
映画の予告編には、分離壁へのデモや オリーブの樹が燃えている様子が 映されています。それを観ながら 私は、ビリン村でデモに参加し 催涙弾を浴びて 涙と咳まみれになった時のことを思い出しました。
2年前の旅では、イスラエルの入植者たちによってオリーブ畑が燃やされた事件があったため 安全を考えて 訪問を断念した村もありました。また その村に向かう途中 火をかけられ鎮火したばかりのモスクがあり 集まった村の男性たちに混じって 煤けた堂内に入ったことも 思い起こされます。そして… イスラエル政府が進める 国際法違反の入植行為によって パレスチナの人たちは水源を奪われ 入植地の汚水を押し付けられていること、一方的な分離壁の建設のために突然家を壊された人が 自分の家を壊した側からその“解体費用”を請求されていること、などについても 話を聞いた当時のリアルな感覚が甦ってきました。
いま 日本は 紛争の種として残された過去の領土問題に向き合わされていますが、パレスチナの地では 現在進行形の「領土問題」すなわち侵略が あるのです。もちろんそれも 積年の領土問題が根底にあるわけですが、しかし 現在入植者としてパレスチナに入ってくる人たちは ロシアからの移民など 宗教的な理由よりも経済的な理由でイスラエス人となった人たちであり そこには 貨幣システムの影が色濃く投影されています。あるドキュメンタリー映画の中で ひとりの入植者の女性は、イスラエル政府が イスラエルの領土内に住む場所を用意してくれれば パレスチナの入植地からすぐに出ていく と語っていました。そして、ほとんどの入植者は 入植地の壁の外のことを考えない 見ないようにしている、とも。現実を観てしまうと その重さに耐えなければならず、それに耐えられなければ 存在が分裂してしまう、ということを 無意識に知っているのかもしれません。
しかし もう 知らないふりは できません。
それは イスラエルの人に限ったことではなく 地球上のすべての人に言えることなのだと思います。
現地時間の昨日、内戦が続いているシリアからトルコに着弾し トルコ人の死傷者が出たことを受けて トルコがシリアへの報復攻撃を行いました。これをもって 中東大戦争へ突入すると観ている人たちもいます。
中東の地は 石油という“現行の貨幣システムと密接なツール”を産するがゆえに、これまでも幾度となく あるものたちが描く貨幣システムの政策によって 翻弄されてきました。そして そのシステムが終焉を迎えている現在 あるシナリオのために中東の地で戦争が起こされるであろうことを 予測してきた人もいます。その方の見方に拠るならば いま起こっている一連の動き(*シリアの“民主化運動と称される動き”も 今回の“誤った”着弾も その他の諸々のことも)は 日本という国 日本というマーケットと連動したもの、ということになるのです。また 現在の貨幣システムの背後に 天皇や日本という存在が浮かび上がってくると、日本の責任 日本人の責任 というものを考えざるを得なくなります。
昨日 久しぶりに眼を通した パレスチナの旅のレポート。