今日届いたメールマガジンに
ある方の講演レジュメからの一文が 抜粋されていました。
『死の淵を見た男』を 昨日 読み終えました
途中 何度も胸が詰まり
一気に読み進めることができなかった 本でした
そして
読むことができて 本当によかったと
心から思える 本でした
「あの時、ただ何が起き、現場が何を思い、どう闘ったか、その事実だけを描きたい」と行動を起こされた著者の方 そして その申し出に応じて取材に応じて下さった多くの方々に、また 言うまでもなく あの当時 現場ではたらかれた方々 と いま現在もはたらいて下さっている方々に、
ただ 感謝の気持ちしか ありません
今月の上旬
この本を読み始めた家人から
福島第一原子力発電所が 太平洋戦争末期に陸軍の校訓訓練基地として使われた「磐城陸軍飛行場」の跡地に建てられていることを伝えられた時、何とも言えない 土地が持つ因縁のようなもの あるいは 土地が持つ宿命とでもいうべきようなものを 感じました
だからなのかもしれませんが
本を読みながら
被災した原子力発電所で命をかけてはたらいて下さった方たちの姿が
映画『硫黄島からの手紙』で描かれた方たちの姿に重なっていったのでした
何のために
さしだされた
いのち
だったのか
さしだされたいのちを
そのごの
わたしたちは
ほんとうに
いかすことができているのだろうか
いろいろ思い感じることはありますが
言葉にできません
ただ
もうこれからは
このような思いとはたらきをする必要がない世の中にしていきたい
現場が苦しむような世には したくない
と
それだけは
強く心に思うのでした
「原発に反対の人にも、逆に賛成の人にも、あの巨大震災と大津波の中で、「何があったのか」を是非、知っていただきたいと思う。」
という筆者の思いは そのまま 私の思いでもあり
少なくともあの3.11を体験した人には 読んでいただきたいと思う本です
昨日届いたメルマガにリンクされていた
Youtubeの “ブータン国王の国会での演説” の右側にずらりと並ぶ映像の中に
この映像を見つけました
もう既にご存知の方も多いかもしれませんが ご参考までに
さまざまな危機を
さまざまな対立を
さまざまな謀略を
演出し
ひとびとの恐怖を利用してきたものたちの
その手のうちは
もう
多くの人の知るところとなっているのに
いったい いつまで
自作自演の猿芝居を
くりかえし 続けるのでしょうか
いまこそ
怒りではなく
冷静な眼差しで
煽られることなく
希望のために
思考し
歩んでいくことが
とても大切なのだと思います
自分の中にもある 同じ構図から目をそらさずに
裸の王様は 裸なのだと 言いながら
パレスチナの旅のレポートの中にも書いてありますが、
イスラエルとパレスチナを訪れて 強く感じたことの一つが
人間の知性が試されている
ということでした。
それに加えて
その旅以降 ことあるごとに思い起こすのが
もったいない
という感覚です。
パレスチナ領内にイスラエルが一方的に建設した分離壁。
その行為に対する抗議として 毎週金曜日にデモを行っている地域があります。
声をあげ続けなければ 受け容れたことにされ
イスラエル政府の暴挙が進んでしまう、
という危機感がその基にはあります。
ひとびとは 毎週 集まって分離壁へ向かい
壁を警備しているイスラエル軍の兵士へ訴え、
兵士たちは様子を見ながら
催涙弾を撃つ…
場合によっては
水平に撃たれた催涙弾が 死傷者を生むこともあり、
また 兵士たちが壁の向こうから パレスチナ領土内へ入ってきて
デモの参加者を逮捕することもあります。
あるいは 夜中にデモの中心人物の家に踏み込んで逮捕し 法的な手続きもないまま 身柄を一方的に拘束し続けることも 少なくないようです。
それら一連の出来事が
私の眼には ある種の行事化されたものとして映り、
その「現実」が
それに関わるすべての人たちの〜イスラエルの兵士も パレスチナの人たちも〜
本来なら発揮されるべき すばらしい能力やハタラキの機会を潰している ように思えて仕方ありませんでした。
もったいない
あまりにも もったいない
のです。
催涙弾を撃ち込んだ男性兵士は うつくしい絵を描くことができるかもしれない
壁の向こうへ石を投げている少年は 自然の神秘をとく鍵を持っているかもしれない
検問所で 指示通りの言葉を言わさせれている女性兵士は アインシュタインを継ぐ科学者になるかもしれない
いつ開くとも分からない検問所の 閉ざされた扉の前で 待ち続けている女性は 大地を蘇らせる能力を持ってるかもしれない
みんなどこかで
建設的なことではないことを知りつつ
みんなどこかで
やらされている ことを感じつつ
ひとりひとりに与えられた素晴らしい宝を 日々無駄にしているように思えて仕方ありませんでした。
それは日本でも
いえ 世界中のあらゆる場所で起こっていることに思えて仕方ないのです。
パレスチナから帰国して以来
もったいない
と感じることばかりです。
街頭で『Big Issue』を掲げている人のその手は すばらしい建物を生み出すかもしれない
でっちあげの調書をしたためた役人は 人を育む 大きな大きな愛をもっているかもしれない
お金のためにやりたくもないことをしているその人は 人の魂に届く すきとおった音を奏でることができるかもしれない
ALSで寝たきりの彼の人は 新たな社会のひな形をつくりあげるかもしれない
支配しようとする人たちも それに異を唱える人たちも
あらゆる場所で対立しているように見える それぞれが
みんな みんな
そんなことのために 生まれてきたのではないのに… と。
70億人がもつ70億個の宝を
わたしたちは
日々 ゴミ箱へ棄てているように思えてならないのです。
もったいない
あまりにも もったいなさすぎる
いまの 社会
そんな思いを抱かなくてすむ
世の中をつくるために 何ができるだろうか…
と
自問しています。
畠山重篤さんの講演をきっかけに 美智子皇后に 興味を持ち、図書館で借りてきた『皇后宮(きさいのみや)美智子さま 祈りの御歌(みうた)』。
手の赴くまま開いたページには 次のように記されていました。(P.63)