Earth Design Project

ひとりひとりから始まる あらたな ヒト/HITO の ものかたり
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「決まり」というもの

 昨日の記事に引き続き、
 同じ本からの文章を 忘備録として引用しておきます。

 坐禅でもまた人生でも、たくさんの困難、問題に出会います。問題があるとき、どうして自分にこういう問題が起きたのか、それを自分の力で見つけることができるかどうかを考えてください。あなたたちはたいてい、最善のやり方でなるべく早く困難を解決しようとします。自分でそれを学ぼうとするよりは、なぜ自分に問題が起きているのか誰かに尋ねます。そういうアプローチは普通の生活に関してはうまくいくかもしれませんが、禅を学びたいのならば、役には立ちません。

 誰かから何かを聞き、それがわかったと思ったとたんに、あなたはそれに固執し、あなたらしさが充分に働く可能性を失ってしまいます。何かを探し求めているときには、暗闇の中で枕を手探りしているかのように、あなたの本性は全面的に働いています。どこに枕があるかがわかったら、もはや心は全面的には働きません。心は限られた感覚で作動します。枕がどこにあるのかわからないで枕を探しているときには、あなたの心はあらゆるものに対してオープンな状態になっています。このように、あなたはあらゆるものに対してより繊細な態度をもつようになります。そしてものをあるがままの状態で(things as it is)見るようになります。

 何かを学びたいのなら、答えが何であるかを知らないほうがましです。(略)

 あなたたちは自由を求めているのですから、いろいろなやり方を試してみなさい。(略)時間を無駄にしたように見えるかもしれませんが、それでもそういう態度は大切です。そうやって見つけようという努力を続けていれば、ものごとを理解する力がもっと強くなるでしょう。何をするにしても、時間を無駄にすることにはなりません。

 限定された考えや限定的な目的をもって何かをするとき、あなたの得るものは何か具体的なものです。それはあなたの内的な本性を覆い隠してしまいます。ですからそれは、何を学ぶかという問題ではなく、ものごとをあるがままに見る、あるいはものごとをあるがままの状態で受け入れるという問題なのです。

(略)

 われわれ一人一人はそれぞれが他の人とは違っています。ですから状況に応じて、やり方を変えなければなりません。一つのものにしがみついていることはできないのです。唯一のやるべきことは新しい状況下において、行動するための適切なやり方を発見することです。

(略)

 私が永平寺で師匠の補佐をしているとき、彼は私に何も教えてくれませんでした。しかし、私が間違いを犯したときには、私を叱りました。通常、戸を開けるときには右側の戸を開けるのですが、私がそのようにして開けると、叱られました。「そんなふうに開けるな! そっち側じゃない!」 それで次の朝は、もう一方の側を開けました。するとまた叱られました。私はどうすればいいのか、わからなくなってしまいました。後になって、右側の戸を開けたあの日は師匠の客人が右側にいたことを知りました。ですから、そのときはもう一方の側の戸を開けるべきだったのです。戸を開ける前に、私は客人がどちら側にいるかを注意して見つけるべきだったのです。(略)

 師匠はわれわれには何も教えてくれませんでした。(略)

 決まりごとや偏見なしに、ものごとをもっとよく理解しようと努力する、それが「無私」(selflessness)ということです。何かが「決まり」であると言いますが、決まりはもうすでに自分勝手な考えなのです。実際には決まりなどありません。ですから「これが決まりだ」と言うとき、他者に何かを、決まりを、強いているのです。

 あまり時間のない場合や、あるいは親切なやり方でもっと親身に人を助けることができない場合に限って決まりが必要になります。「これが決まりだから、そうするべきだ」と言うことは簡単です。しかし実は、それはわれわれのやり方ではありません。(略)

 私は、あなた方をあまり手助けできないことを申し訳なく思っています。しかし真の禅を学ぶやり方は言葉によるものではありません。ただ自分を開いて、あらゆるものを手放すのです。何が起ころうとも、それが良いとか悪いとか思っても、自分が見出したものを綿密に学びそして理解しなさい。これが根本にあるべき態度なのです。上手、下手にかかわらず絵を描く子供のように、これといった理由なしに何かをすることがあるでしょう。それがあなたにとって難しいのなら、それは実はあなたがまだ坐禅をする準備ができていないのです。

 実は任せる対象などないのですが、それが任せるということが意味することです。特定の決まりや理解に固執して自分自身を失うことなく、刻一刻自らを見出し続けなさい。それがあなたたちのなすべき唯一のことなのです。

<P.162~P.170>   

 「法律は最低の道徳」と言われることがあります。なんとなく納得したような気持ちになったりもするのですが、どこか違和感がありました。そして今回この本の中で、「決まりはもうすでに自分勝手な考え」であり 「あまり時間のない場合や、あるいは親切なやり方でもっと親身に人を助けることができない場合に限って決まりが必要」になる、という文章を目にしたとき、「そうそう!まさにそういうこと!!」と深く腑に落ちたのです。

 「決まり」があることで ものごとを短時間で処理することができ ある限られた範囲の中においてはとても便利なものです。そして 社会を営む上で「決まり」は ある程度 必要なものだと思います。でも、その「決まり」というものの本質や出自を忘れてしまうと 従である「決まり」が主であるかのように人々が扱い始め、本来主であるはずの人の本性や自由や生命が 「決まり」の従となり その可能性が潰えてしまいます。その例として思い出すのは、かつて「死刑を廃止してしまうと無期懲役の人が増え 収容するコストがかかるから、死刑制度は必要」と言った 公務員である知人のことです。
 また ある社長さんは、規則をまったく作らずに会社を運営していたところ 社員の方から規則を作って欲しいと言ってきた、と話してくれました。決まりに従うことに慣れてしまうと 自由であることに不安を感じるのかもしれません。その社長さんは まったく仕事をしなくていい社員を雇っていて(*とは言え、何らかの表現活動をされている方たちでしたが)、それはフィランソロピー活動であると同時に 「人は自由に耐えられるのか」という一種の実験のような側面もあると おっしゃっていたように記憶しています。お話を伺ったのは もう20年以上前のこと。いま その会社はどうなっているでしょうか。

 「決まり」は 様々なところにあります。

 概念や言葉も 一種の 決まりです。

 「型」と言った方が 良いかもしれません。

 「型」はあらゆるところに見られます。

 暗闇の中で枕を手探りするように、人の自発性や自立性や自由や可能性を潰さない「型」 あるいは それらを育み伸ばすような「型」を あるいは 型が必要のない社会のあり方を 模索してみたいと思うのです。

だいちを耕す

 家にあった本を何とはなしに繰っていたら 目にとまり手が止まる文章にいくつも出逢いました。『禅マインド ビギナーズ・マインド2 ノット・オールウェイズ・ソー』。帯には、「スティーブ・ジョブズの師、鈴木俊隆師の邦訳第2弾」とあります。

 世界三大宗教の創始者の中で 唯一 神憑りのない釈迦は、いま そして これからの時代において かなり当てにでき信頼できる存在ではないかと、私には思えます。ただ 釈迦の精神が いまどの程度受け継がれているのかについては 門外漢の私には分かりませんので、宗教としての現仏教が信頼できるかどうかは不明です。しかし、少なくともこの本の中には 信頼に足り 自らを導きうる言葉がちりばめられていました。

 その一つが、「11 土壌の世話をすること(Caring for the Soil)」の章。

 扉のページには、「空[くう]とは何もそこに見ることができない畑です。実は空はすべてを生み出す母なのです。そこからすべてのものがやってきます。」というリードがついています。


 ほとんどの人は仏教を、すでに与えられたものであるかのようにして学んでいます。われわれがしなければならないのは、食べ物を冷蔵庫の中に入れるように、ブッダの教えを保存することだと考えています。そして、仏教を学ぶときは、その食べ物を冷蔵庫から取り出すのです。ですから、仏教が欲しいときにはいつでも、それはもうすでにそこにあるのです。しかし、禅を学ぶ者は、そうではなく、田や畑から食べ物を生み出すことに関心をもつべきです。われわれは大地のほうを強調します。

 (略)

 たいていの場合、われわれは何もない土地には興味をもちません。われわれはむきだしの土地ではなく畑で育っているもののほうに興味をもつ傾向があります。しかし、良い収穫を得たいと望むなら、最も重要なことは土壌を肥やし、それをよく耕すことです。ブッダの教えは食べ物それ自体に関するものではなく、それをいかに育てるか、それをいかに手入れするかに関するものなのです。ブッダが興味をもっていたのは特別な神でもなければすでに存在しているものでもありませんでした。彼が興味をもっていたのは、さまざまな畑がそこからできる土地のほうだったのです。彼にとっては、すべてものが神聖なものでした。

 ブッダは自分が特別な人間であるとは思っていませんでした。衣を身につけ、鉢を持って托鉢をし、最も普通の人のようであろうとしました。彼はこう思っていました。「私にたくさんの弟子がいるのは、私のせいではなく、弟子たちが優れているからだ」と。ブッダが偉大な師であったのは、人々についての彼の理解が素晴らしかったからです。彼が人々をよく理解していたからこそ、彼らを愛し、助けることを喜んだのです。ブッダはそのような精神(spirit)をもっていたからこそ、ブッダ[覚者・仏]でいることができたのです。

<P.115~P.118>   


 今日、人という土壌を耕し肥やす助けになるであろう本が 出版されました。

 その内容は、「犀の角のようにただ独り歩め」というブッダの言葉が指す道に添うものでもあります。

 人と交わりながら 自由自律のまま 自分の本性をあらわすこと…


 そのためには 自らのカラダに根ざすことがとても大切だと、感じています。
 その意味においても カラダの意識から離れることのない禅の精神は 大いに助けになるのではないでしょうか。

 土壌の世話ができるような社会を 少しずつデザインしていきたいと思います。


GENESIS 〜はじまり つくる〜

 セバスチャン・サルガドさんの写真は あまり得意ではありません、でした。世界の不条理や悲惨を伝える画像に向き合うには 相当なエネルギーが必要とされるため、ある時期から まるで義務のように観ていたそれまでの態度を変え 一定の距離を置くようになっていたから、というのが 直接の理由ではなく、どんな環境においても確かに存在している「人間の尊厳」を写していると評される彼の写真が あまりにも美しいことに、なにか 落ち着かないもの、しっくりしないもの、居心地の悪いものを感じてしまうからでした。

 とは言え、昨日 映画「セバスチャン・サルガド 地球へのラブレター」を観た後に 自宅の本棚を探ってみると2冊の彼の写真集が出てきましたから、私にとって じっくりと見たくはないけれど手元に置いておきたかった とても気になる写真であり写真家だったのは間違いありません。

 今月の初め、美容室で 普段は手に取ることのないファッション誌をパラパラとめくっていたら アートのページにサルガドさんの名を見つけ、ヴィム・ヴェンダース監督とサルガドさんの長男のジュリアーノ監督がサルガドさんの映画を撮ったことを知りました。そして 数年前の彼の写真展で求めたパンフレットに記されていた 2005年に開始したプロジェクトのことを思い出したのでした。

 GENESIS…

 映画は、彼の生い立ちや家族に触れながら インタビューを交え 彼の仕事の軌跡を 「GENESIS」プロジェクトなど進行中の活動を含めて追っていきます。

 当然のことながら 彼を有名にした「世界の不条理や悲惨を伝える写真」を生んだ様々なプロジェクトが順次紹介されていくわけですが、私は 次第に退屈になり さらには居心地が悪くなって 席を立ちたくなりました。今日 改めて手元にある彼の過去のプロジェクトの写真を観ていて理解したのは、荘厳すぎるほど美しいその映像の中に秘められた 撮り手であるサルガドさんの怒りや悲しみのような割り切れない何か、被写体の本来持っている荘厳さや美しさと その身が置かれた環境の あまりにもはげしいギャップに、私は 耐えがたさを感じるのだ、ということです。

 そしてその亀裂や齟齬や居心地の悪さは、71歳になっても青年のような透き通った眼差しを持つ 撮り手であるサルガドさんの方が圧倒的に感じ取っていたわけで、数多の戦争や難民や虐殺の現場に立ち会った彼の 「もう限界だった。もはや人間の救済など信じられなかった。」という言葉が映画の中で流れた時 私は映像を通じて彼の苦痛をわずかながらでも追体験していたのだと 気づいたのでした。

 サルガドは様々な人類の歴史と対峙する中で、新プロジェクト「GENESIS」の主題を生命の根源[ルーツ]に求めた。それは、ルワンダだけではない、人類の悲惨な歴史や苛酷な日常の中で必死に生きようとする人間たちと出会って、作家自身が導き出した課題であり、次に向かう先であった。

 (略)

 サルガドはこれまで対峙してきた歴史と現実を再考するために、「GENESIS」プロジェクトへと向かった。「WORKERS」や「MIGRATION」などの作品を単なる過去の記録にするのではなく、現代や次世代の人々が未来へ向けて様々な角度から検証できるための人類共通の基盤として示されるのが「GENESIS」なのである。

【セバスチャン・サルガド写真展「AFRICA」のパンフレットの、丹羽晴美・著「生きとし生けるものの未来へー起源を探るセバスチャン・サルガドの写真」より】


 「GENESIS」プロジェクトの中で撮られた彼の写真は 私には何の違和感もありません。自然に 美しい と思えます。これまでの彼の写真とは異なり、どれも 愛おしい。安心して向き合え そこに映るものの中にあるいは向こうに 希望のようなものが感じられます。目の前の一枚の映像の 手前と向こう側とその奥に断絶がなく どこかへつながっているような落ち着きがあるのです。

 報道写真家が 対象を自然や動物に変えるのは、勇気が要ったことでしょう。これまで数多く撮られてきた ある意味取り尽くされているテーマとも言えますが、絶望を知っている彼にしか撮れないであろう作品が 生まれています。


 今回の映画で知ったことの一つが、彼が実家の農園で妻と始めたインスティチュート・テラ。サルガドさんが幼い頃は鬱蒼とした森だったところが いつの間にか荒地となり禿山と化していたのを、植林を続けて 現在は環境保護地区に指定されるほどの立派な森をつくりあげたのです。これは映像を見てもらいたい。あんなに荒廃していた土地が 人が適切に手をかけることによって これほどまでの豊かな生態系を持ち得る「現実」を ぜひご自身の目で見てもらいたい。

 妻のレリアさんが、「(この経験と知識は)みんなのものです」というようなことを話されていたのが とても印象的でした。

 サルガドさんの映画を見た後 その映画館がある施設の壁に貼られたポスターの文字が 目に飛び込んできました。

 「靑い種子は太陽のなかにある」

 寺山修司さんの劇作品のタイトルです。

 作品の内容は分からないものの、その一文が ずっと私の中で響き渡っていました。

 太陽…

 燃えさかる赤…

 大地を染め尽くしたおびたたしい血の流れ…

 躍動と狂気…

 カミュの『異邦人』の太陽…

 青…

 海の色

 空の色

 緑の色

 いのちの色

 その赤と青の対比が、サルガドさんの 絶望から希望への道のりのように 思えたのです。

 そして、「風の谷のナウシカ」の中で語られる 「その者 蒼き衣を纏いて金色の野に降りたつべし。失われし大地との絆を結び、ついに人々を清浄の地に導かん。」という“古き言い伝え”を 思い出しました。漫画版の「ナウシカ」は、焼け尽くした焦土に立つ 王蟲の体液によって青く染まった衣をまとったナウシカが、その言い伝えと結びつけられて終わるのです。

 GENESISの語源は インドヨーロッパ祖語の“gene-”(=to produce, give birth, beget)に遡ることができるようです。

 GENESIS/ジェネシス

 創生 創世 創成…

 はじまる はじめる

 つくる うみだす

 GENESISプロジェクトを 最初は 環境破壊を告発するものにしようと考えていたと、サルガドさんは映画の中で語りました。しかし 告発… アンチ… のなかには こたえがないことを 彼は十分知り抜いていたのでしょう。

 過去から 現実から 目をそらさずに、しかし その枠組みや地平から離れて、しかし 過去や現実とのつながりを断ち切ることなく、誰もが絶望してしまうような荒廃した土地を いのちの楽園にすることができる。

 インスティチュート・テラは その一例であり、サルガドさんの「GENESIS」プロジェクトは 荒廃した人の心や意識への 楽園をつくるための一本のあるいは何本かの植林のように思えます。あるいは、私たちに手渡された 未来への希望の種のようです。

 映画の原題は THE SALT OF THE EARTH

 地の塩

 聖書にある言葉です

 “光で描く人”フォトグラファーの人生を介して

 人は 地を浄める塩となりうる、意を込めたのでしょうか…

 彼の生まれ育った地域は、私がブラジルでその名を知る数少ない土地であり もっとも気になる場所の一つ。GENESISの森を訪ねることが、いつの日か彼の国を訪ねるときの楽しみとなりました。

【余談】

 奇しくも サルガドさんの最新のプロジェクトと同じタイトルの写真集を 処分したところでした。その本に収められていた写真は どれも「過去」。けっして抜け出せない過去の閉じた世界を写したもの。それを手放し 未来へ繋がる「GENESIS」へ出逢った、ということになります。


【余談その2】
 GENESISの森が 私の中で 「無限の庭」へとつながっていきます。
 そして その記事の中に記したRADICALの語源を見ると、GENESISの原義とつながっていきます。

無限の庭

 アメリカの絵本作家であり 自然な庭づくりのガーデナーとして有名な、ターシャ・テューダーさん。2008年に亡くなられましたが、彼女の遺言に従って 葬儀はせず 墓をつくらず、荼毘に付された遺灰は 彼女の庭に還されたことを、彼女についてのテレビ番組で知りました。

 ずっと (個人的には)従来の記念碑的な墓は要らない と考えている私は、墓地に代わって 遺灰を大地に返し自然を育む「還っていく森」のような場所ができたら…と思っていたのですが、その番組によって、木々だけの森ではなく 四季折々の草花が息づく「庭(にわ/には)」のような場所が より望ましいイメージとして浮かび上がってきました。

 人の理解を超えた「無限」と断絶することなく その営みを続けている“自然”は、人が その生を終え 宇宙の全体性とも言える“ひとつらなり”のなかへ還っていく場所として 最もふさわしいように 私には思えるのです。

 空間のなかに中間的な領域を創造しようという人間の夢が、現実の世界のなかに物質化されたとき、庭園というものができあがる。この点では、庭園は詩によく似ている。詩はみんなが日常的に使っている言語を使って、自分が現実のなかに出てくる直前の、宇宙の全体性とつながりをもっていたときの言語の状態というものを、つくりだそうとしているからだ。

 (略)

 日本の庭園では、空間を空間として三次元に広げていくことよりも、空間そのものが立ち上がってくる垂直性をもった現象を中心的な主題としている。庭造りにたずさわっていた「山水[さんずい]河原者」と呼ばれる人々は、庭を「造る」のではなく「立てる」と称し、場所に大きな石を立てることから仕事をはじめたのである。現実のなかに指標として石を打ち込み、その特異点から大地の力が放出され、その力が空間に姿を変えて庭園をつくりなしていくようにして、夢の空間を立ち上がらせていったのである。

 (略)

 二十一世紀には、非人格的な存在である「モノ」たちと人間がどのような関係を結んでいけるのかが、とても大きな意味をもってくるだろう。(略)そのような知性を養う場所として、庭園が大きな意味をもってくるにちがいない。庭園こそ、人間が非人格的なモノとのあいだに同盟関係、契約関係を結んで、人間にとってもモノにとっても、それぞれのプログラムを実現できるような関係性をつくろうとしてきた場所だからだ。今日までの庭園においても、植物や動物などのモノは庭園の主要な要素ではあったが、今後はさらに大きな意味をもってくるようになる。これまでは庭園造りの職人たちがなかば無意識に、なかば伝承的に体得した直感によっておこなっていたことを、二十一世紀の世界に生まれるであろう新しい職人的知性は、これを意識化して取り出すことができなければならない。

(中沢新一著『ミクロコスモスⅡー耳のための、小さな革命ー』P.86~P.93)

 その「無限のにわ」の場を立ち上がらせるのは、苔むすことはあってもほとんど変化することのない石 ではなく、刻々と成長し朽ちて次代へと生命が受け継がれていく樹。一本でも 二本でも 何本でも その場にふさわしい樹を植えて、個と全体性 生と死 顕在と潜在 デジタルとアナログ…の ひとつらなりを体感し体得できるような場を、たちあらわしていくのです。
 ターシャさんが「庭づくりには最低でも12年はかかる」と言ったように 時間をかけて…。

 たぶん「庭(にわ/には)」が完成することはないでしょう。

 「無限」が無限であるように…。

 季節の移り変わり

 命の移り変わり

 生物と非生物のかかわりと調和

 はぐくむということ

 いきるということ

 てわたすということ

 うけつぐということ

 ひとがより「楽」に生きるための知恵や知性を 養い育む場として…

 そんな「無限のにわ」は、できれば 自然豊かな場所ではなく、荒廃したところにつくりたい。明治神宮が 荒れ野につくられたように。ターシャさんが 放置されていたじゃがいも畑を すばらしい草原にしたように。

 例えば 天災や人災によって破壊された土地が うつくしい「にわ」となったなら、きっと後から生まれてくる人たちは 人という存在の可能性を 実感を持って確信することができると思うのです。

 ターシャさんが バーモンド州に移り住んで あの「ターシャの庭」をつくり始めたのは、彼女が57歳のとき。それだけでも 人の無限の可能性を信じることができます。

重要なこと。
それはいっさいの「中間」に留まりつづける
ラディカルさを保ちつづけることである。
そのとき大きなヒントを与えてくれるのが庭園なのだ。
(同上P.84~P.85)

【注】RADICAL < Late Latin 「radicalis」(=of or having roots)
           < Latin「radix」(=root)
             < PIE root「wrad-」(=twig, root)


   庭=こちらのサイトによれば、
     「神事・狩猟・農事などを行う場所や、波の平らな海面などもさし、
      古くは何かを行うための平らな場所をさしていた。」とのこと

未来のクニへ(3)


 未来のために いま 私たちは何をすべきなのか

 未来のために いま 私たちは何ができるのか

 「そう問われているんだなぁ」と ティンバライズの展覧会を観た私は思いながら 二重橋前駅から東京駅まで歩いていると、行幸地下ギャラリー前で「丸の内 行幸マルシェ×青空市場」が開かれていました。色とりどり 様々な農産物が並ぶなか ところどころに立てられた緑の旗には、未来の子どもたちのためにいまどういう食を選ぶのか を問う言葉が記されていました(*正確な文言は覚えていないので もしかしたら正しくないかもしれません/【追記】を参照下さい)。

 帰りの電車の中で 家人に ティンバライズのことを知らせるメールを送ったところ、その返信には 夕刊を読んでほしい旨の文字。帰宅してすぐに夕刊を開いてみると 自然栽培のつくり手の広がりを伝える記事が載っていました。私にとって 自然栽培は 未来につながる食の一つの在り方です。家人も 自然栽培を応援している一人ですが、まるで家人が 私が行幸マルシェに出くわし何を見たかを知っていたかのようで そのタイムリーさに笑ってしまいました。

 そして、朝 家を出るときは それほど心惹かれていたわけではない後藤新平氏についての番組が 急に気になり、ネットで調べてみると 運良く その番組がアップされていました。早速 見残した部分を観てみると、番組の最後で 2020年の東京オリンピックへの言及が…。

  「我々はこの時代に彼のことを考えるのは
   とっても大切じゃないかと思うんですよ。

   公共財っていろいろあると思うんですけど、

   いまの人間だけで考えちゃいけない公共財ってあって、

   時間をどんどん超えていく…
   つまり その世代の話だけではすまないものって

   世の中にはたくさんあって、やっぱり都市の計画なんかはそうで

   東京オリンピックを控えている我々がたとえば

   今の人だけの利益とかすごく一部の人のための利益を今日やって、

   将来 ぼくらのような歴史番組で恥ずかしい目に遭うようなことは

   絶対になくあってほしいというふうに 非常に願うし、

   やっぱり後藤がこの時代 曲がりなりにも

   『生命と健康』を公共の真ん中に置いて奮闘したという歴史っていうのは

   それ自体が僕らへの遺産のような気がしたなぁというのが
   感想でしょうかね。」

  (磯田道史さん/静岡文化芸術大学文化政策学部教授)

 折しも今 現国立競技場の解体工事と新国立競技場の建設をめぐる「官製談合」の疑惑が出てきています。その真偽はいずれ明らかになると思いますが、もしも 未来のために流していくエネルギーとしての「お金」が 利権やコネというものによって国家や公共財に寄生しているものたちに吸い取られてしまう現状があるとするなら それは いまこのときに修正しなければなりません。一部の者たちの語らいによる「談合」がはびこり運営される社会は 一種の強制社会とも言えます。選択も創造力も生かされない「強制」は いのちの在りようとは相容れません。ですから、狭い視野での談合の是非に留まらず、そういうシステムを続けていくなら 寄生している者たちも含めた私たちや私たちの社会が いずれ疲弊し破綻することは避けられないでしょう。(*もうそうなっている と言えるのかもしれませんが…)

 東京という一都市に多額の国家予算を割くことはできないと国会で判断された「後藤新平氏の復興計画」を実現させた経験は、戦後 全国の都市100カ所以上で戦災復興に生かされたそうです。

 あたらしいカタは 一定の地域でまず試してみる必要があります。

 オリンピックをどう捉えるか それは人ぞれぞれだと思いますが、オリンピック開催が決まっている現在 あらたな都市・あらたな地球市民の生き方を提示する機会と捉えることで、私たちは 世界から与えられたこの機会を最大限に生かすことができるのではないでしょうか。そしてそれは 東北の震災復興と連携して行われるなら より望ましいものになるのではないでしょうか。

 未来につながるあらたなカタは、どういう物をつくるのか というハードに限らず、それをどのように決めていくのか というプロセスにも求められることです。

 

  「僕は福島の復興の現場で
   いろいろな議論をするところに身を置いているんですけれども、

   議論を 地域の人たちを巻き込んだ形で

   (地域の人たちを)主人公にして 議論をとにかく重ねていく場を

   とにかくつくらなくてはいけない。その場がないんですよね。

   で、そこに お金の問題みたいなものがすぐかぶさって

   議論すらさせないような形で 転がっていく……
   ということの不幸を感じます。

   だから 今 被災地で
   後藤新平を待望する空気はたくさんあるんですよ。

   でも、だれかそういう英雄的な政治家がビジョンを掲げてあらわれて

   そこに身を委ねれば前に進めるのかっていうと
   僕は そうではない(と思う)。

   そうではないということを覚悟を決めて引き受けて

   自分たちで議論を少しずつ組み立てて

   自分たちの将来の姿 在り方 地域社会の在り方っていうのを
   探していくしかないのかなと思います。」

   (赤坂憲雄さん/民俗学者)

 かつて江戸と呼ばれた東京は、江戸時代 明治維新 関東大震災 第二次世界大戦 と、幾度も大掛かりな都市創造・都市改修が行われた「人工」の地。

   「江」は、大地を川が貫いているさま

   「戸」は、出入り口 や 扉

 この21世紀

 江戸たる地は

 あらたな流れのとびら となれる

 でしょうか


[おわり]



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【余談】

 この日の夜 「かもめ」という意味の名を持つ台風が発生しました。

 発生した台風の名前が気になっていろいろ調べていた時期を過ぎ このところはそういうこともなくなっていたのですが、今回はなぜか気になって ネットでカモメについて調べてみると、「海と航海の象徴」「国際平和の象徴」「夢や希望の象徴」という言葉がヒットしました。また 「海と陸の境界にいる鳥」と捉えられることもあるようです。

 そういえば、ティンバライズの展覧会を見たあと立ち寄ったスパイラルマーケットで 唯一目に留まった品である1枚のカードに描かれていたのは 羽ばたく数羽のカモメ…。


 なんだか 朝からいろいろリンクしていった一日でした。



【追記】(2014年10月03日(金))

「丸の内 行幸マルシェ×青空市場」で見た旗に記された言葉は
 「子供たちの子供たちも、
  その、ずーっと先の子供たちも
  食べていけますように。」
でした。

この文章を私は「未来のために いま どういう食を選ぶのか」という問いかけとして捉えていたようです。



この写真は マーケット会場から少し離れた場所で撮ったものです。
この少し先に たくさんのお店が出ています。

通りすがりに 極早稲のみかんが目にとまり、重くならない程度に少しだけ買いました。対応してくれたのは、その和歌山の農家さんのお手伝いに来ていた 東京農大の学生さん(*農業経済学を専攻とのこと)。この日は 学生は少なかったようですが、いつもは たくさんの農大生が助っ人として来ているようです。
そういえば 農大の学園祭「収穫祭」も 食の祭典ですね。


未来のクニへ(2)

 お目当ての個展を見たあと 服を修理してもらうために立ち寄ったお店に、すてきな風合いと佇まいのコートがありました。それは 藍染めした馬革のロングコート。

 この夏 日焼けで色あせした濃紺の鹿革バッグを 藍で染め直しできればと思い、近くで藍染めをやっている方に問い合わせしたところ、「革を染めると硬くなり 型くずれする可能性がある」との返答をいただき 断念したという出来事がありましたので、その 藍染めの革コートに触れたときの柔らかさが 信じられませんでした。聞けば 藍染めの職人さんと共同で10年がかりの技術開発の末に やっと完成したそうです。

 日本生まれ日本育ちの馬の革に 日本伝統の藍染め という、完全なる「Made in Japan」の品。説明文の中の “「皮」を「革」へと変えるためのなめしの工程では 経年変化を楽しめる植物なめしという手法を使用しています。” という一文は、私に 「人工」という言葉と「工」という文字を思い起こさせました。(ちなみに そのサイトによれば「馬革は基本的には 命を全うした成馬の皮が主流」とか。)

 そして、用事を終え 帰途に着こうと地下鉄の入口を目指しているときに ふらりと立ち寄ったスパイラルビルでも、再び「人工」及び「工」という文字を思い起こさせる文章に出遭いました。

   「ティンバライズ(Timberize)」とは?

   木でつくれないと思っていたものが、木でつくれるとしたら、

   街はどのように変わるのでしょうか?

   木は英語で<wood>、丸太は<log>、

   人の手によって加工された木材とか製材は、<timber>と呼ばれます。

   ティンバライズ(Timberize)は 「timber」から考え出された
   造語です。

   team Timberizeは、
   鉄やコンクリート、プラスチックに置き換えられてしまった「木」を

   新しい材料としてとらえ、木造建築の新しい可能性を探っています。

 スパイラルガーデンで 「Timberize TOKYO 2020」と題された展覧会が行なわれていたのです。




 そこでは、2020年の東京オリンピックを 「これからの東京のあるべき姿を描き出し 新しい価値観を提示するまたとない機会」と捉え、その一つのカタチとしての「都市木造」という未来が提案されていました。







   『東京オリンピック2020の関連施設を
            ティンバライズしたらどうなるだろう?』

   この問いを出発点にして展覧会の企画は動き出しました。

   話し合い検討している中で浮かび上がってきたのは、

   2020年はひとつの通過点であるという意識です。

   仮設、本設、改修と建て方は3つありますが、いずれにしろ、

   そこで終わるのでなく
   その後につづいていくことが大切だということです。

   本設の場合は、新しく建つ建築はオリンピック時のみならず、

   その場所にあり続けるための機能性や柔軟性、周囲との関係性が
   必要となります。

   仮設は、取り壊してしまうから何をやってもいいという前時代的な考え方
   ではなく、

   使用された資材を有効に活用していくことが必要です。

   そして何よりも、そうした沢山の都市スケールの開発が行われることで、

   新しい街が創造されるのですから、
   2020年の先までずっと愛される素敵な街であってほしい。

   その新しい街を考える上での大事なコンセプトとして

   「ティンバライズ」というキーワードは人々の思いをつなげます。

   「木」という素材は、
   環境を意識したこれからの社会に適した素材であり、

   また、森林国日本において歴史的にも重宝され、
   愛され続けてきた素材です。

   オリンピックという国家的なイベントを契機として、

   未来へつながる街を、「木」を中心にしてつくっていくことは、

   ごく自然なことではないでしょうか。

   (展覧会の資料より)

 「現在オリンピック委員会で作成している施設配置やイメージを参考に、施設の集まっている臨海ゾーン」の中から 競技施設を中心とした有明ゾーンと選手村を中心とした晴海ゾーンの施設の模型が展示されていました。

 単なる個人的な好みに過ぎないのかもしれませんが、木という素材が与える柔らかさやあたたかさやしなやかさは それを観る者の皮膚感覚によりそう優しさと懐の深さを感じさせます。また 繊細で美しいラインの模型は 観ているだけでワクワクし、その空間に身を置いてみたいと思わせてくれます。











   これまで木造建築は、
   地産地消のもと森林資源の豊かな地域で積極的につくられてきました。

   しかし、森林を活性化させることは、その地域のみならず

   全国規模で考えていかなければならない問題です。

   特に、森林資源の恩恵を享受している都市部では
   その積極的な活用が望まれます。

   2020年のオリンピックは、
   都市木造の可能性を考える貴重な機会と考えられ、

   実際に都市木造によるまちづくりが行われれば、
   オリンピックはもちろん、

   それ以降の都市の姿に大きな影響を及ぼすことになります。

   1964年のオリンピックが創り出した近代都市としての東京は
   今や飽和状態に達し、

   その役割を終えようとしています。

   2020年のオリンピックは、これからの東京のあるべき姿を描き出し、

   新しい価値観を提示するまたとない機会です。

   (展覧会の資料より)

 いずれも興味深い展示の中に 「新木場につくる8万人スタジアム」がありました。これは 神宮外苑に建設予定の新国立競技場を夢の島公園につくるとしたら という、一つの代替案でもあります。それは 2016年のオリンピック誘致の際の計画に沿ったものでもあります。


















 本当に8万人収容のスタジアムが必要なのかどうかの検討も必要ですが、収容人数がどれだけであれ 大規模なスタジアムは 歴史的な地域である神宮外苑ではなく 新しく拓かれた湾岸地域にした方がよいのでは、という意見は 今なお一つの案として提示され続けているものです。これも個人的な感想に過ぎませんが、そこで提案されている木造のスタジアムは 国際コンペで最優秀に選ばれた案よりも美しく私の目には映ります。

 また、オリンピック関連の建造物を木造化するにあたり その部材を全国に求め、全国各地から届けられたプレカット素材でつくる という案は、「神宮の杜が 全国からの献木によってつくられた」事実と 時空を超えてつながり、場所は違えど同じ東京という場所の 新たな幕開けに相応しい儀式のようにも思えます。




 この展示会を見た4日後に参加した これからの社会のデザインを考える講座でも、2020年のオリンピックを 「(地震や気候の変化など)“常に変動する地球”と共生する しなやかな強さを備えた都市や社会をつくる」きっかけと捉え、いまこのときの私たちの創造力と努力を 非常に重要なものとして認識されていました。
 その内容については 稿を改めて紹介するつもりですが、ティンバライズの提案と重なる視点を挙げるなら、森林の活性化は山村に仕事を生み その結果 湾岸地域にあまりにも偏ってしまった人口を分散する一助となります。また 木材の利用が増えることで 平地と山地の人々の意識がゆるやかにつながり、河口の平野における水の被害を 流域を視野に置いた「川上から川下にかけてのトータルな取り組み」によって考え対処するきっかけとなり得ます。



[つづく]

未来のクニへ(1)

 この半年ほど 服飾デザイナーであるコシノ三姉妹の母を主人公にした連続テレビ小説『カーネーション』の再放送を観ています。『あまちゃん』終了後に「あまロス」となった家人が その心の穴埋めからか 以来 過去のドラマの再放送を録画して観ており、その恩恵というか影響で 『ちりとてちん』は時々覗き観る程度だったのですが その次の『カーネーション』は結構はまってしまいました。

 主人公の服に対する姿勢が、洋服づくりを志した頃に洋裁の先生から言われた

「ほんとうにいい洋服は 着る人に品格と誇りを与えてくれる。

 人は 品格と誇りを持ててはじめて 夢や希望も持てるようになる。

 いい? あなたが志している仕事には そんな大切な役割があるのよ。」

という言葉に支えられているからでしょうか、もともと服には興味があり おそろかにしたくないものの一つと思ってきた私ですが、改めて 「服の大切さ」や「自分にとっての服」ということに意識が向くようになってきました。

 ときどき 「(大切なのは精神性であって)物には興味がない」というニュアンスのことを口にされる方がいますが、そんなとき私は ちょっと奇妙な気分になります。「意識とカラダ」「心とカラダ」「精神とカラダ」は影響し合い共進しているということを このところブログでも書いている私にとって、物と精神もまた影響し合い 共振/共進するもので 分ち難く…いえ 分ちえないものです。ですから 精神性を大切にされるのであれば 物も同じぐらい大切にされるのが自然ではないだろうかと 思うわけで…。
 なにも 物を買いあさることを勧めているわけではありません。また、空腹を満たし 寒暖や雨露をしのげるものがあるだけで ありがたい、という心持ちを否定しているわけでもありません。ただ 物に真摯に向き合うことについて 問うているだけなのです。(かく言う私も 物に真摯に向き合えているわけではなく まだまだ扱いが雑…。そんな自分が今後どのように変化していくのかを楽しみにしています。)


 一言で「物」といっても 大小さまざまなものがあります。その「大」なるものとして思い浮かぶのは 建築や都市空間でしょうか。


 先々週の金曜日の朝 録画していた『カーネーション』を見終わった後テレビを操作していると、関東大震災後の帝都復興計画についての番組が 画面に映し出されました。英雄たちの選択「関東大震災 後藤新平・不屈の復興プロジェクト」です。

 番組の途中から観て 途中でスイッチを切ったので 断片的な内容しか分かりませんが、後藤新平氏が理想とした復興計画を 幾度もの抵抗や反対を受け 縮小や変更をよぎなくされながらも 実現していったその「選択」をめぐる番組のようでした。私がちょうど目にしたのは、国のための理想の帝都計画の予算が 地方に支持基盤を置く政党から 東京に多額の予算が集中することへの異議が出て 大幅に削られ、更に都市計画に不可欠な区画整理事業からも ほとんど国は撤退、それを支えたのが 後藤氏と共に仕事をしたことのある東京市長・永田秀次郎さん、という場面でした。

 区画整理を実現するには 地主から土地の一部を無償提供してもらわなければなりません。そういう困難を受け入れてもらうためにも 永田市長は 次のように市民に直接呼びかけたそうです。

    「市民諸君

     この事業は実に我々市民自身が

     なさなければならぬ

     事業であります

     父母兄弟妻子を喪い

     家屋財産を焼きつくし

     道を歩まんとすれば道幅が狭く

     身動きもならぬ混雑で

     実にあらゆる困難に

     出遭ったのである

     我々の子孫をしていかにしても

     我々と同じような苦しみを

     受けさせたくはない

     これがためには

     道路橋梁を拡張し

     防火地帯を作り

     街路区画を整理せなければならぬ

     これが今回生き残った

     我々市民の当然の責任であります」

 震災復興のただ中にあり 2020年のオリンピックを控えた“今の日本” を生きる私たちにも訴えかけるものがあるなぁ、と思いながら 番組の途中でテレビを消し、予定の外出をしたのでした。


[つづく]



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